2017/08/27

第11回 『ディズニーランド』とプロレス

 プロレスラーの力道山は子供達のヒーローだったから、男の子は皆、金曜の夜の8~9時は日本テレビ系のプロレス中継を見て熱中したものだ。提供は三菱電気だった。プロレス中継は2週に1回で翌週に放映されるのがアメリカのABCで放送していたTV番組『ディズニーランド』(1954-58)だった。  「科学の国」「冒険の国」「おとぎの国」の3種類の内容が毎回変わっていく、このやり方も斬新だった。「科学の国」で見た宇宙旅行の未来の映像、リアリスティックなアニメーションの宇宙船や宇宙ステーション、月世界や火星の地表にとてもアニメとは思えなかった。冒頭でウォルト・ディズニーが宇宙船のミニチュアを手に持って語りかける(日本語版の声は小山田宗徳さんだった)のを見て「あのオモチャほしいなあ」と思った。「冒険の国」は西部劇の『デビー・クロケット』や『狼王ロボ』、「おとぎの国」はミッキー・マウスやドナルド・ダックにモダンでスマートな作画の“未来の車”や「プカドン交響楽」と音楽も軽快なまるで実験アニメの新しさ・・・金曜夜って、子供にとって、まさにプレミアム・フライデーだったと今にして思うのデス。

第10回 スーパーマンの提供スポンサーは?

 アメリカのTV放送は国営放送じゃない民間放送で1950年代はCBS、NBC、ABC、デュモントの4大ネットワークの時代だった。ラジオ放送が先行していて『スーパーマンの冒険』『ローンレンジャー』『ディック・トレーシー』『ガン・スモーク』と人気番組が多く、TV放送開始時にそれがラジオからTV作品へとスライドしていったのだ。

 『スーパーマン』もそうで、原作にいなかった少年記者ジミー・オルセンも子供達の分身として物語に共感を呼ぶため、ラジオ番組で生まれたキャラクターだった。
 1930年代後半から50年代前半まではアメリカ映画界は1話12~15分、全話15話で毎週「To Be Continue」(つづく)と3~4本のヒーロー物、ウエスタン活劇、女性版のターザン物、SFヒーロー物を上映する連続活劇映画が盛んで『ローンレンジャー』も『バック・ロジャース』『タイガー・ウーマン』『ディック・トレーシー』『スーパーマン』と凶悪なギャングや陰謀団とヒーローがアクションし続けていた。

 TVの『スーパーマン』も第一シーズンは凶悪なギャングが多く、ロイス・レーンなどの女性や子供を殴る、縛ると乱暴な描写が多く番組のスポンサーだったケロッグが「見ている子供が怖がるじゃないか!」とクレームをつけ、変な発明をする科学者やトンマな泥棒などユーモラスな味が増えて幼年層までファン層が広がったという実情だった。

第9回 スーパーマンとQ太郎

 『スーパーマン』(1952-58)に地球にぶつかろうとする彗星を粉砕する特撮がすごいエピソードがあるという話をしたが、その回で記憶喪失になったスーパーマンが戻ったクラーク・ケントの部屋の様子にファンはびっくりしてしまった。
 洋服が吊るされているクローゼットの扉を開けると、何着ものSマークのついているスーパーマンの服がハンガーにぶら下がっていたのだ。ええ!?「スーパーマンの服って何着もあって着替えているのか?」「マントは確かクリプトン星から赤ん坊のスーパーマンを乗せたロケットの中で赤ちゃんをくるんでいた毛布みたいな布から作ったという設定があったけれど、青い服やパンツはクラーク・ケントのお手製なのか?」このショックは子供心にもよく覚えていて、ケントの部屋を訪ねてきたジミー・オルセンがクローゼットの中を見たらスーパーマンの正体がバレてしまうとハラハラしたものだ。後に藤子不二雄さんの漫画『おばけのQ太郎』でQ太郎の白い洋服(足元を見ると黒い犬みたいな足が見えている。Qちゃんの姿は洋服を被っている姿なのだ)が何着もあって、「あ、藤子不二雄さんもスーパーマンのあの話を見たに違いない!」と思わずうれしくなってしまったものだ。

第8回 スーパーマンのベスト1エピソード

 『スーパーマン』(1952-58)は日本の漫画のヒーロー物、TVヒーローに巨大な影響を与えたアメリカ製のTV番組だが、主人公のスーパー能力の理由が忍術でも格闘や力が強いからではなく、単にクリプトン星人の持っている基本的な能力だからー空も飛べるし、銃の弾丸も跳ね返す強靭な体、鉄棒も軽く曲げてしまう怪力、目からX線を出して壁や物を透かして見えるというアイデアが何よりも斬新だった。ロボットや未来人、宇宙生まれの人間、忍者の子孫だからと主人公のスーパー能力を思いつく幅が広がったのだ。

 『スーパーマン』のベスト1エピソードは地球に衝突するコースを進む彗星の危機を防ごうと、宇宙空間へと飛んでいったスーパーマンだがこの回は画面手前に移動マスクで合成される特撮編で、ビジュアルも抜群だった。見事に彗星は木っ端微塵に出来るのだが、彗星の放った放射能を全身に浴びてしまったスーパーマンの身体に異変が起きる。地上に降りたスーパーマンが記憶喪失になってフラフラで自宅に戻る。翌日クラーク・ケントのスーツ姿になっているのにはだけたワイシャツの下にはスーパーマンのSマークの服があった。同僚のジミー・オルセンが訪ねてきてこのままではスーパーマンの正体がバレてしまう。このダブル・サスペンスが子供心に「ウマイ!」と思った一編だった。

第7回 はじめて見たSFTV

 『スーパーマン』(1952-58)は別としてはじめて見たアメリカのSFTV番組は何かというと、NHKの『空想科学劇場』だろうか。字幕スーパーでやっていた番組で、製作プロダクションには同じくNHKで大ヒットしていた『ハイウェイ・パトロール』(1955-59)や『宇宙探検』(1959)(『マコーレー隊長』というタイトルで再放送していた)で知られていた独立プロのZIV(ジブ)プロダクション。

 うろおぼえなのだが、アメリカの台風を人工コントロールしようとし、進路を変える研究所の実験中にミスが起きて、台風のパワーが異常に上がってしまい、大都市に向かって台風が狂ったように進んでいく・・・果たして防ぐことが出来るのか。手に汗握って見ていた記憶がある。この番組、1960年代後半東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で日本語版に直して『SF劇場』のタイトルで放送したことがあって、見たのはそちらのほうだったかもしれない。2000年頃あるフィルム作品を探しに東北新社の品川倉庫をチェックしていた時、16ミリフィルムで全70本以上のプリントが揃って保管されているのを見つけて『SF劇場』の日本語版フィルムがこんな場所にあったのかとひっくり返った。今はZIVプロダクションの作品の版権窓口は確かMGM-UAのはずで、是非再放送かDVDで発売してもらいたいものだ。

第6回 ヘッケルとジャッケル

 『ウッドペッカー』と共に好きだったアメリカ製のアニメが『ヘッケルとジャッケル』だった。カラスの2羽(カラスだと子供心に思っていたのだが、カケスなんだと25歳の時、森卓也さんの文章で気がついた)が旅をしながら、その旅先で出会うあらゆる動物キャラをだましてちゃっかりもうけて生きて行く。ニヤリと笑う表情がなんとも子供心に面白かった。詐欺師アニメの傑作だった。藤子不二雄Aさんが「少年キング」に連載していた『フータくん』はこの詐欺師モードを廃除してアルバイト、アイデア・メーカーのモードにしたフータくんというキャラ作りの巧さだった。
  兄貴分のヘッケルの日本語版の声は後に『三匹の侍』の桜京十郎で有名になる長門勇、ジャッケルの日本語の声はこれまた有名になる「てんぷくトリオ」の三波伸介。「アニキー!」というジャッケルのヤサグレた声がまたヨイのです!もうけるつもりがあてが外れてシラケたラストにもヘッケルとジャッケルはへこみもしない。「明日は明日の風が吹く♪」てな調子でちょっとした『フーテンの寅』みたいなムードだった。
  ヘッケルとジャッケルは実にたくましいのだ。人生っていろいろあるんだろうなあ・・・そう子供心に実感させたのだからきっと名作だったんだろうなあ。

2017/08/26

第5回 どこか怖かったウッドペッカー

 アメリカのTVで見たアニメで、幼年時代に異様に魅き付けられたのが日本テレビ系でやっていた『ウッドペッカー』のキツツキのキャラクターだった。
 何と書けば判ってもらえるか、引きつったような声と仕草で「エヘヘッヘヘー、エヘエッヘヘー、エへへへへー!」(ちがうよ、コレじゃ!!)笑うその声のオカシサ。その笑っている目と顔のコワサ・・・“こいつ狂っている!!””と子供心に直感したのだから幼な心には初めての体験だった。出会う周りのキャラクター全て壊滅的なメーワクをこうむり、ズドーンとぶっとぶラストのドトーの展開にもビックリ。ディズニーとミッキーマウスなんておとなしいものだと思えるパワーがあった。

 作画も個性的で、最近の「カートゥーン・ネットワーク」でCGのきれいなアメリカのアニメを見ていると、あの『ウッドペッカー』の毒気は何だったのかと思う。常識を、ノーマルさを、弱気な奴をハナで笑う大人のアニメ・クリエイターのスゴミがあふれ出たものだと痛感するばかりだ。『バックス・バニー』は “ああ、ウッドペッカーのカラー版の仲間だ!” と子供心に(小学生なのに)思ったものだ。