2017/08/30

第95回 Q、そしてボーグと『新スタートレック』の快進撃!

 『新スタートレック』の第一シーズンは『スタートレック』当時のスタッフだったD.C.フォンタナが脚本を書いたり、第一話にドクター・マッコイのデフォレスト・ケリーが出演したり、旧シリーズ・ファンへの配慮がどこかにあって「ううむ・・・いいんだけど」と人気作品の続きというのは難しいなあというのが実感であった。

 だが、第1話に登場したQという惑星連邦をはるかに超えた宇宙文明の使者のストーリーは「何かがこのTVシリーズで始まるのでは?」とSFファンをゾクゾクさせた。そしてそれはガイナン(ウーピー・ゴールドバーグの快演!)が語り手になるボーグとの遭遇によって覚醒した。SFファンは宇宙テーマでいつの日かオーバーロード、ハルマゲドンに似た究極の敵と出会うストーリーを夢見ているものなのだが『スタートレック』宇宙の中でまさにそれを目撃体験することになったのだ。

 ボーグの出現とその戦いを描く中でSFTVシリーズのレベルは『スターウォーズ』サーガを超えることになった。『新スタートレック』は、やがて脚本メンバーの中からブラノン・ブラガたち新しいプロデューサー、シリーズ構成のスタッフを育て上げ、『スタートレックDS9』『スタートレック/ヴォイジャー』『スタートレック/エンタープライズ』と宇宙SFとして空前のスペース・ドラマ・サーガを生んでいくことになる。

 『新スタートレック』の製作途中でジーン・ロッデンベリーは亡くなるが、まさに新世代のスタッフに『スタートレック』宇宙は託されることになるのである。

第94回 シンジケーション・スタートの『新スタートレック』

 『新スタートレック』で驚かされたのは、CBS, NBC, ABCの3大ネットワークに頼らず、地方TV局のシンジケーション放送を頼りにして製作が始まったことだった。『スタートレック』は知名度もあり、毎回読み切りで地方局の再放送にはぴったりで、アメリカ全土の地方局で再放送され続けていた。

 『世にも不思議な物語』のジョニー・ニューランドが地方局で再放送され続けていた『世にも不思議な物語』の評判に、1970年代後半『新・世にも不思議な物語』を製作、監督して2シーズン続いたのも影響したのかも知れない。『新スタートレック』はたちまち100局以上の地方TV局で放送されて、3大ネットワーク以外でのTVシリーズのビジネスモデルとして話題を呼ぶことになった。

 公共放送であったHBOが『レイ・ブラッドベリ劇場』からTVドラマシリーズの製作に乗り出し、やがて90年代『ソプラノズ』というマフィア一家の重厚なドラマを作り、アメリカ、イギリス、ヨーロッパのTVファンを驚かせるが、80年代ケーブルTVがアメリカの家庭に一般化し、20世紀FOX-TV, ウエスタン・チャンネル他の専門チャンネル(Sci-Fiチャンネルが現れたときは「スターログ」でさえ “商売になるのか?” と心配されてしまい、記事にしたほどだ)衛星放送の開始、UPNなど映画会社系のTV局の誕生とアメリカTV界は大きく変わり始める。『新スタートレック』は、その変わり行くアメリカTV界に一石を投じたSFTVシリーズであった。

第93回 革命的だった『新スタートレック』

 1980年代、SF映画に比べて面白いSFTV番組はなかなか現れなかった。その中で『新スタートレック』が現れた時、THE NEXT GENERATIONというコンセプトをよくぞ思いついたというショックがまずあった。TVシリーズに続編やスピンオフは数々あれど、次世代の物語と言うのはSFだからこそ成立するのだが、サーガ物の香りも出ていて、このアイデアだけでジーン・ロッデンベリーはTVドラマ史上に残る人間になったと言ってもいいと思う。

 主人公がピカード艦長(パトリック・スチュワート)というフランス人と言う設定もロッデンベリーならではで、フランス人の役者にロッデンベリーはこだわるが、副プロデューサーのボブ・ジャストマンがシェークスピア劇の公演で話すスチュワートを見て、「彼こそがピカードじゃないか?!」と直感、ロッデンベリーを説得して決定した。

 もう一人の主人公ライカー副長(ジョナサン・フレイクス)、アンドロイドの航宙士データ、視力を電子アイでおぎなっている機関部主任のラフォージ、艦長直属の女性士官カウンセラーで宇宙人とのハーフであるトロイ、はるか昔から生きてきた宇宙人ガイナン(ウーピー・ゴールドバーグというキャスティングには仰天した)・・・とレギュラー陣には『スタートレック』時には仇敵だったクリンゴン人のウォーフまで加わって旧『スタートレック』と匹敵する人物群像があって、スティーブン・ボチコ企画・製作の『ヒルストリート・ブルース』とも共通する群像ドラマがSFジャンルでも始まったのかという実に新鮮なイメージだったのである。

第92回 クリス・カーターの企画『Xファイル』

 1980年代のアメリカSFTVは、なんといっても『Xファイル』のヒットと『新スタートレック』の登場が大きな話題だった。

 『Xファイル』はアメリカ人なら誰も思っていた“政府は国民に黙って悪い事をしているにちがいない”という考えをちょいと突いて、“やはり!”と思わせるアイデアで、プロデューサーのクリス・カーターはこの企画を売り込むのにTV局や製作会社が判ってくれず「ほら、何年か前に『事件記者コルチャック』って怪物や妖怪が出たゴーストハンター物のTVシリーズがあったじゃないですか、あのUFO, FBI版なんですよ」と言い出してやっと判ってもらったという顛末だった。

 FBIの中に「Xファイル課」というUFO事件やモンスター・怪奇現象専門のセクションがあってというクリス・カーターのアイデアは見事で、モルダー捜査官、ドクターでもある女性スカリーのコンビも新しい相棒のイメージを生み出した。本当か、嘘か判らないフィクション・ミステリーの味わいが最初からあって、UFOの番組イメージが若いファンにあそこまでアピールするとは思わなかった。

 SFTV空白の時代にアメリカで大ヒットして、日本ではレンタルビデオ店でブレイクして、TV放送されない外国TVシリーズがレンタルビデオで視聴する『24』にもつながるムーブメントは、『Xファイル』が生み出したものだ。特撮や特殊メイクの使い方も秀逸なTV番組だったと思う。2016年からの新シリーズが放送中だ。

第91回 『おかしな二人』とゲーリー・マーシャル

 1960年代の『底抜け中隊』(F-TROOPS)という軍隊コメディのTVでゲーリー・マーシャルは知っていたけれど、プロデューサーとして意識したのは1970年代のニール・サイモン原作のTVコメディ『おかしな二人』を見てからだ。名優ウォルター・マッソー主演で映画化もされたけれど、私にはTVシリーズの方が印象に残っている。

 ジャック・クラグマン(日本語版の声は大平透)の演じるスポーツ・ライターのオスカーは何でも片付けられない新聞記者上がりのライターで、寝床から机の上、部屋は散らかりっぱなし、とにかく仕事が出来てビールが飲めてメシが喰えればそれで良し。対するトニー・ランドール(日本語版は近石真介、後には小松政夫が演じた)演じるカメラマンは清潔好きで整理魔で、道にタバコが落ちていても拾わずには気がすまないマジメが主義のカタブツ。その40代の2人がなぜかルームメイトで同居している珍騒動の毎日・・・人間、変人で何が悪いという、いかにもアメリカ人の本音が透けて見えるテーマが痛快で、エミー賞も受賞したコメディ作品の一級品だった。

 ゲーリー・マーシャルは続けて、今は監督として有名なロン・ハワードやヘンリー・ウィンクラーが主演の1950年代の青春コメディ『ハッピー・デイズ』、『ラバーン&シャーリー』とヒット作を連発、ゲーリー・マーシャル本人の役でコメディ作品に出てきたりTVコメディの名物オヤジの扱いだった。2016年惜しくも亡くなったが、アメリカではいつも再放送しているTVコメディのプロデューサーとして多くのファンに愛され続けている才人だった。

第90回 『冒険野郎マクガイバー』とカナダ

 『冒険野郎マクガイバー』は撮影拠点をカナダのバンクーバーに置いていたTVシリーズだった。少し廻りにロケすると海岸地帯から砂漠地帯、雪景のある山岳地帯、大都市、フランス風の別荘地と世界中の情景を撮れるカナダの豊かな大自然を縦横に使ったTV番組だった。

 まずマクガイバーの活躍を見せるオープニング・ガンビットのパートは『ドクター・フー』『ブレイク7』のテリー・ネイションが脚本を書き、『スパイ大作戦』『ラット・パトロール』のリー・H・カッツイン監督が演出、シリーズ構成の脚本はアクションがうまいスティーブン・カンデルとイギリス、アメリカの手練のスタッフが揃い、ストーリーもSFや細菌戦争のパニック物、火災パニック、サバイバル物、インディ・ジョーンズばりの宝探しネタからマクガイバーを狙うライバルの暗殺ストーリー、子供たちを悪のギャング組織から救い出したり、こんなバラエティ豊かなストーリーを持つクライム・ハンター物のTVシリーズはなかったと思う。

 『マクガイバー』の日本語版の声は『マジンガーZ』の兜甲児役とジャッキー・チェン役の石丸博也さんで、レギュラー陣の宮川洋一、内海賢治、岡本麻弥とアンサンブルも抜群で素晴らしい日本語版であった。東北新社の小山悟のキャスティングだった。ベスト級の仕上がりだった。

第89回 ナイスガイ『冒険野郎マクガイバー』

 外国TVドラマ・シリーズが地上波のTV局のゴールデンタイム(19~23時)にやらないどころか、深夜放送でも滅多にやらなくなってしまった。1980年代初頭などはTBS系で深夜にやっていた『冒険野郎マクガイバー』ぐらいだった。

 『冒険野郎マクガイバー』はジョン・リッチとヘンリー・ウィンクラーがプロデューサーで、ウィンクラーは『ハッピーデイズ』で革ジャンでバイク好きの学生フォンジーを演じてアメリカ社会のアイコンとなった俳優だった。

 ウィンクラーの目配りが『マクガイバー』のキャスティングに生かされていた。マクガイバーを演じるリチャード・ディ-ン・アンダーソンは本当にスポーツ好きで、アイスホッケーはセミプロ級、チャリティーマラソンは常連、スキューバ・ダイビング、スカイダイビングとアウトドア派のスポーツマンで、本人も平和主義者で暴力反対が自分のポリシーだった。

 フェニックス財団や政府からの任務を頼まれても嫌なら断ってしまうマクガイバーだが、友情と困っている人を見過ごせない男なのだ。どんな危険な任務でも銃は使わず、科学知識とアイデアを思いつける発想力、機転と持ち前の明るさで切り抜け解決していく。フィクションの中だけで存在するナイスガイで、アメリカ全土のコーチやインストラクターの先生から「若い奴といつもあなたの話で盛り上がる」とファンレターが殺到した。日本の女性外国TVファンを一人で守り抜いた男、それがマクガイバーの魅力だった。

第88回 『エアウルフ』のダイナミズム

 昔、岩井田雅行さん、徳木吉春さんと私でグループNUTSの事務所を世田谷の若林で進めていた時(全員の持つ外国TVの英語の文献や「テレビジョン・エイジ」を持ち寄って共通の資料にしていた)アメリカから最新のTVドラマシリーズのビデオを録画して送ってもらっていて「これは面白そうだね」と岩井田さん、徳木さんが言ったのが『エアウルフ』だった。

 ドナルド・P・ベルサリオがプロデューサー、脚本を手がけ、新兵器の未来戦闘ヘリコプターのエアウルフを奪取した主人公(ジャン・マイケル・ビンセント)がCIAのホークアイ部長の特命を受け、世界中に出撃してテロリスト集団や某国の陰謀をぶっ飛ばす。SFタッチの味わいがキナ臭い軍事物の香りを薄めていてベルサリオの個性がはっきりしていた。ベテラン俳優アーネスト・ボーグナインが相棒をつとめて、このキャスティングの巧みさは特筆物だった。

 『エアウルフ』はグレン・A・ラーソンの『ナイトライダー』と共にコンピューターとデジタルの時代の前触れなのに、メカニックのスタント・チームが体をはって映像を作り上げていた。1980年代、キャネル、ラーソン、ベルサリオの新鋭プロデューサーの企画が次々と新時代を呼ぶ時代となったのだ。

第87回 映画『地獄の黙示録』をもたらしたもの

 フランシス・フォード・コッポラ監督の大作映画『地獄の黙示録』の中で、最大の見せ場となるのはワーグナーの音楽を外部スピーカーで流しながら、ヘリコプターの編隊攻撃でベトナム村民の村を攻撃する爆発、炎上シーンだが、コッポラはあのシーンのために実際にベトナム戦争に従軍していたヘリコプター・パイロットを集めた。

 ただし、戦場で傷ついたアメリカ兵を救出にかけつける兵士たちが “Aチーム” と呼んでいたレスキュー・ヘリ部隊のパイロットたちだった。名物隊長みたいな人がいて、アメリカ全土に散って、大都会の観光ヘリや農薬の散布ヘリ、ハワイの観光ヘリで食いつないでいた仲間たちを呼び寄せたのだ。画面の中で飛んでいるヘリもそうだが、それを撮影していく空撮用のヘリコプター操作まで手伝った。

 大掛かりな撮影だったため、ハリウッドの仕事は面白いと映画会社やTVシリーズの仕事を引き受けるヘリコプターのサービス会社が何社か生まれていった。そこに仕事を頼んだのがドナルド・P・ベルサリオだった。ハワイを舞台にした私立探偵もの『私立探偵マグナム』で、マグナム(トム・セレック)とベトナム戦争での戦友のハワイ観光のヘリコプターのパイロットが捜査に協力、アクションの撮影にも生かされ、作品の軽快さ、スピード感もレベルアップしていったのだ。

第86回 イギリス警察物二人の革命児

 1970年代に入って、2つのTVシリーズがイギリスのポリス・ストーリーに新しい風を送り出した。『ロンドン警視庁特捜部スペシャル・ブランチ』が先行して、『謎の円盤UFO』のフリーマン役のジョージ・シーウェルがクレイブン刑事を演じ、若手刑事のデレン・ネビットが演じるハガティ警部を相棒に、公安警察の仕事でIRA闘争(イギリスのTV界ではアイルランド闘争がドラマでは長くタブーで、ないことになっていた)や政治家のスキャンダル、某外国大使館の犯罪、国際的な麻薬ルート、テロ犯罪との戦いと、単なる犯罪と戦っていたクライム・ストーリーに現実の様々な問題を大胆に盛り込んでいた。クレイブンが暗然となるラストも多く、このニガミのあるドラマは大人の味わいだった。

 そしてもう一本は『ロンドン特捜隊スウィーニー』のリーガン警部(ジョン・ソー)だ。元々映画の『リーガン』『リーガン2』というイギリス版ダーティー・ハリーみたいな映画があって、その主人公リーガン警部を主人公にしたTVシリーズがあるのだ。どなる、叫ぶ、手が出る、悪人よりも悪賢い刑事部長リーガン(日本語版の富田耕生はピッタリの好演)は、現代に生きる人間の匂いを色濃く放っていて、イギリスのポリス・アクションは変わったなあと見惚れるばかりだった。

 この延長戦にブライアン・クレメンス製作の『特捜班CI-5』がやってくるのだ。『スウィニー』がイギリスのポリス・アクションを変えたのがイギリス人の常識なのだ。

第85回 美しきファイティング・レディーたち

 『サンダーバード』の6輪の未来型ロ-ルスロイスに乗るレディー・ペネロープ(シルビア・アンダーソンが声を担当し、日本版の声は黒柳徹子)は女性版の007というイメージだったが、次回作の『キャプテン・スカーレット』でスペクトラムの戦闘機部隊に乗るシンフォニーたち5人の女性部隊に放送当時びっくりしたものだ。

 だって『ウルトラマン』のアキコ隊員は通信担当、『ウルトラセブン』の友里アンヌ隊員はメディカル・センター勤務、『スタートレック/宇宙大作戦』のウフーラ(日本ではウーラ)は通信主任、いかに女性キャラクターとして突出していたか判る。副プロデューサー格のシルビア・アンダーソン、人形造形と操作の主任クリスティン・グランビル、その助手メアリー・ターナーと女性が中心にいた人形スタジオのムードも後押ししたのだろう。

 イギリスでは1961~69年『おしゃれ秘探偵』の中で、皮製上下のジャンプ・スーツにハイブーツで1000ccのトライアンフ・バイクに乗り、柔道で男を投げとばすヒロイン、キャシー・ゲイル(オナー・ブラックマン)、同じ上下の黒のボディラインが美しいジャンプ・スーツのこちらは空手の使い手ミセス・エマ・ピール(ダイアナ・リグ)と美しいファイティング・ビューティー(二人とも映画『007』のボンド・ガールに引き抜かれた)が人気を呼んでいて、モデルのツゥイギーもそうなのだが、女性の新しい時代はイギリスから始まっていたのである。

 アーロン・スペリング製作の『ハニーにおまかせ』のハニー(アン・フランシス)も『おしゃれ秘探偵』のエマ・ピールが元ネタなのだから、イギリス・レディはやるのである。中でも『謎の円盤UFO』は月面基地のエリス中尉や行動派のレイク大佐と女性キャラが抜群のSFTVシリーズであった。

第84回 『謎の円盤UFO』の特異性

 『謎の円盤UFO』はイギリスで1969年放送スタートし、日本では翌年、日本テレビ系で放送された。『サンダーバード』から4年、ジェリー・アンダーソンにとって人形劇をやめて人間の俳優たちによるライブ・アクションの初のTVシリーズだった。

 人形劇用のスタジオでは録音が出来なかったため、MGM撮影所が撮影拠点となり、『プリズナーNo.6』で使った二つのステージでドラマ・パート(芝居部分)は撮影された。ボブ・ベル美術監督のSHADOの地下の二段構造の司令部セット、球型の同じセットをつないだムーンベースのセット、壁をラバー処理したスカイダイバーの船内、インターセプターやスカイ1のコクピットとセット・デザインが冴え、MGM撮影所の美術部の力が発揮されていた。

 10年後の1980年が舞台のため、ボタンレス、ノーネクタイ、ポケットレスのマオ・カラーやスマートな服、中性的な男性の髪型とファッションをシルビア・アンダーソンが考案し、美術副監督のキース・ウィルソンがまとめあげた。

 ストレイカー司令官(エド・ビショップ)、フリーマン副司令官(ジョーシ・シーウェル)、フォスター大佐(マイケル・ビリントン)他20人近いレギュラー陣がいるのもミリタリー物の設定ゆえで、アメリカ・イギリスのSFTVでここまでミリタリー(未来的ではあるが)の香りがあるのはこの作品だけだ。地球侵略となった時、バトル・オブ・ブリテンの本土防衛戦になるのはイギリス人の本音だったのだろう。ジェリー・アンダーソン、レッジ・ヒル、デレク・メディングスと中心メンバーがイギリス軍の勤務体験があったのも大きかったかもしれない。

第83回 快走する『ナイトライダー』

 1960年代後半の『原子力潜水艦シービュー号』『宇宙家族ロビンソン』『タイムトンネル』『スタートレック/宇宙大作戦』『インベーダー』というSFTVシリーズを思い出すとそのスケール感と大掛かりな特撮シーンと1970年代になって『600万ドルの男』『バイオニック・ジェミー』『ワンダーウーマン』とスーパー能力を持った1人の主人公だけで、いささかさびしい感じをTVファンは感じていた。

 その突破口になったのがグレン・A・ラーソン製作の『ナイトライダー』であった。TVムービーからスタートした番組で、ナイト財団(リチャード・ベースハートが社長だった)が事件の捜査中に銃撃されて瀕死の刑事を救い出して手術で蘇生させて銃で傷ついた顔も別人に整形して、マイケル・ナイト(デビッド・ハッセルホフ)という新しい名前を与えた。ナイト財団が開発したスーパーカー、ナイト2000は、K.I.T.T.(キット)という人工頭脳を持つ未来カーで、マイケルのパートナーとなるのだ。

 『爆発デューク』で派手なカー・スタントで人気を呼んでいたスタント・チームがスタントを手がけ、宙を飛ぶわ、壁を破るわ(特撮もうまく使って)とアクションのスケールを広げた。アメリカのTV番組『ナショナル・ジオグラフィックス』のナレーターも担当していたリチャード・ベースハートがオープニング・ナレーションを担当、「現代の騎士ナイトライダー!」という名セリフはベースハートが亡くなった後もTVシリーズの巻頭で輝き続けたのだ。

第82回 苦闘するスティーブン・J・キャネル

 『ロックフォードの事件メモ』を成功させたスティーブン・J・キャネルは自分のプロダクションを作って、TVシリーズの製作に乗り出していく。しかし、すぐには成功しなかった。『UFO時代のときめき飛行/アメリカン・ヒーロー』はTVムービーからシリーズ化したが、主人公役のウィリアム・カットが真っ赤で“中”とお腹に書いてあるスーツを恥ずかしがって「TVガイド」の表紙にあの格好で映るのをNGにして中ヒットの出来だった。面白い作品だったが。

 これで失敗したらプロダクションをたたむかと挑んだのが『特攻野郎Aチーム!』だった。ベトナム戦争で傷ついたアメリカ兵士をヘリコプターで救出にやってくるAチームのメンバーが南ベトナムをアメリカ軍が撤退する時、ある銀行へ行く命令を受け向かったら現金を奪った戦争犯罪の罪を問われ、一度は捕らえられるが、見事に脱走してアメリカの裏社会にもぐった。無実の罪に問われ、警察も誰も助けてくれない時、「コール・ザ・Aチーム!(Aチームを呼べ!)」必ず俺たちが助けてやろうというオープニングナレーションのうまさ!!

 これはアメリカの民間伝説「レインマン」の現代版で困っている人を丘を越えてやってくる「雨が降るな」と呟く不思議な男が救ってくれるというヒーロー像であった。雨アラレと銃をぶっ放しながら誰も死なない痛快なクライム・アクションで、キャネルの才能がはっきり出ていて、番組は大ヒット、キャネルは一流プロデューサーとして認められたのだ。

第81回 日本上陸『バトルスター・ギャラクチカ』

 日本では『バトルスター・ギャラクティカ』はTV放映されずに映画『宇宙空母ギャラクチカ』として劇場公開された。映画用に編集されていて、TVサイズのスタンダード画面が少し上下に狭いワイド版になった感じで、バイパーや宇宙戦闘のシーンはいいのだけれど、「なんだかなあ・・・」と外国TVファンは思っていた。

 日本テレビ系で始まったTVシリーズも巻頭のTVスペシャルがないので、何か途中から見ている感じで、たしか10回くらいで全部放映しなかったんじゃないか!? その後LDとかDVDで見ていないので果たして自分は『バトルスター・ギャラクティカ』を全て見たのか、語っていいのかしらと思っている日本のファンは多いのではないだろうか。

 『バトルスター・ギャラクティカ』はグレン・A・ラーソンが中心だが、プロデューサーには先輩格のレスリー・スティーブンスがついて、脚本のメイン・ライターはドナルド・P・ベルサリオであった。ベルサリオの存在に気づく最初の作品になった。

 『バトルスター・ギャラクティカ』はテーマ曲も壮大な名曲だが、これもグレン・A・ラーソンが原曲を作曲していた。サイロン兵士はそのメタリック・ボディー、左右に動くデジタル・アイ(これは『機動戦士ガンダム』のザクにある影響を与えていた)持っているマシンガンタイプのレイガンと未来兵士のイメージで、『スターウォーズ』のストームトルーパーと双璧のヴィジュアルを作り出した。サイロン兵の乗る円盤タイプの戦闘円盤もグッドデザインのメカニックだった。

第80回 グレン・A・ラーソンの時代とは?

 グレン・A・ラーソンは、ラジオドラマを聞いていて脚本家を目指したそうで、ただ時代はTV時代になっていたのでTV脚本家を目指すことになった。ユニヴァーサルTVで働き始め『スパイのライセンス』でジーン・L・クーンと出会い『西部二人組』でロイ・ハギンズに鍛えられて、プロデューサー兼脚本家として自分で企画を出し始める。SFも好きだったので、ある惑星世界が異星人に攻撃され、一部の人々が宇宙船で脱出して故郷の地球を目指す宇宙テ-マの企画は “スケールがでかすぎる” とNGをくらい、一向に企画は進められなかった。テーマ音楽のメロディーですらラーソンは思いついていたのだが、やれるのはTVアクションシリーズだった。

 チャンスが1977年にやってきた。ジョージ・ルーカス製作・監督の『スターウォーズ』が大ヒットして、“今ならチャンスだ”とダメ元で出した『バトルスター・ギャラクティカ』のTVスペシャルの企画にOKが出たのだ。特撮は『スターウォーズ』を手がけたジョン・ダイクストラが担当。宇宙戦闘機バイパーとサイロン人の円盤との攻防は『スターウォーズ』以上に見やすく、宇宙空母というギャラクティカのイメージも新鮮だった。TVスペシャルは好評でTVシリーズ化も始まった。グレン・A・ラーゾンはこの『バトルスター・ギャラクティカ』でヒットメーカーの一流プロデューサーの仲間入りをすることになる、

第79回 『600万ドルの男』は誰のもの?

 『600万ドルの男/サイボーグ危機一発』はTVムービーからスタートした。ハーブ・ベネットがプロデューサー、科学ジャーナリストでSF作家でもあったマーティン・ケイデンの原作で後に『ヒルストリート・ブルース』を製作するスチーブン・ボチコがペンネームで脚本を書き、肉体がマシーンに拒絶反応を起こしたり、評判もよくTVシリーズ化が決定した。

 主人公スティーブ・オースティン役のリー・メジャーズは西部劇のヒットTV『バークレイ牧場』でアメリカ中に知られる俳優であった。ユニヴァーサルTVは途中からハーブ・ベネットからグレン・A・ラーソンにプロデューサーを変えた。グレン・A・ラーソンはさっそく美女に囲まれたスティーブ・オースティンのスチール写真を作り、難しい事件やスパイなどに苦しめられる女性キャラをバイオニックのスーパー・パワーで軽快に助けるアドベンチャー作品として『600万ドルの男』を作りかえていく。

 雪男のようなビッグフットと戦ったり、宇宙人の円盤が出てくるわ、グレン・A・ラーソンはバイオニック・パワーと戦う敵に様々なSFキャラを用意していく。一般の視聴者と女性ファンの人気は得るのだが、SFファンは首をかしげるばかり。子供向けで『サイボーグ009』や『8マン』を見ていた日本のファンは複雑な心境で見ていたTVシリーズだった。

第78回 ロイ・ハギンズが育てた二人のプロデューサー

 『逃亡者』を企画したロイ・ハギンズは1970年代になっても幾多のヒット作をプロデュースし続ける。『西部二人組』は映画『明日に向かって撃て!』のTVバージョンで、グレン・A・ラーソンに番組を任せて若いファンを獲得していく。『刑事トマ』は実在の刑事だったトマを主人公にして異色のポリス・ストーリーで、スティーブン・J・キャネルが脚本家として育っていく。『刑事トマ』からスピン・オフしたのが『刑事バレッタ』で、変装の名人で潜入捜査と娯楽性を兼ねたポリス・ストーリーであった。

 『ロックフォードの事件メモ』は『保安官ニコルス』で女性プロデューサーと組んで失敗したジェームズ・ガーナーの評判に『マーベリック』の生みの親のロイ・ハギンズが「ガーナー、俺とまた組んでみないか?」と声をかけ、無実の罪で服役した私立探偵、弁護士の女性と恋仲で、運送業社長の父と同居せず、トレーラーで一人くらし。ただ、父さんとは釣り仲間と人物設定を全て作り上げて第一話からスティーブン・J・キャネルにプロデューサー、脚本を任せた。ハギンズは名プランナーであり、プロデューサーを育てる名人でもあった。『ロックフォードの事件メモ』の楽しさは、私立探偵のハードボイルドの香りを知っているハギンズとキャネルが生んだものであった。

第77回 ニューヨークが舞台の『警部マクロード』

 ニューヨークの市民が歩く雑踏の中を進むカウボーイハット、ブーツ姿のひときわ背の高い男、マクロード(デニス・ウィーバー)。『警部マクロード』の象徴的な1カットだが、大都会ニューヨークの中でどこか浮いている西部の男性が映像化されていた。

 映画『マンハッタン無宿』でクリント・イーストウッドが演じていた西部から犯人を追ってニューヨークへ来た警察官がとまどい、それでも正義を貫き通すキャラクターをTVドラマ“シリーズ”の主人公に組み直したのだ。

 『アウター・リミッツ』『ネーム・オブ・ザ・ゲーム』のレスリー・スティーブンスが第一シーズンのプロデューサー・監督を手がけ、大都会の雑踏の中を一人事件を追い続ける情景はマクロードの孤独とただ一人戦う男の内面を見せて出色だった。

 ところが第二シーズンになってグレン・A・ラーソンがプロデューサー・脚本になると、マクロードの性格が陽気で、女性に優しく男気のあるタフ・ガイに変わり始め、人気がぐんぐんと伸びていった。放送中は『刑事コロンボ』と『警部マクロード』『署長マクラミン』と人気を三分するほどのヒット作となった。

 日本語版はNET(現在のテレビ朝日)版は小林清志、NHK版は映画俳優の宍戸錠が演じて評判になった。ニューヨークの街を馬に乗って犯人を追うマクロードの姿は、このキャラクターのユニークな味わいを表わしていると思う。

第76回 ニューヨークの現実を活写する『刑事コジャック』

 1960年代後半の警察ドラマは、スタジオ内の署内のドラマが大半で、街を主人公が乗る車が走るシーンも車だけで別人が乗るB班撮影の映像が多かった。『鬼警部アイアンサイド』『FBI』『警部ダン・オーガスト』『スパイ大作戦』・・・・

 それが1972年頃から変わり始めた。ニューヨ-クのスラム街で初めてロケ撮影を敢行したのが『刑事コジャック』で作品アドバイザーとしてニューヨーク市警の刑事だったソニー・グロッソが設定や細かいセリフにもアドバイスした。ソニー・グロッソは映画『フレンチ・コネクション』でジーン・ハクマンが演じたポパイのモデルになった人物で、やがて警察を辞めてTV界で働くようになる。

 コジャックは3時間TVムービーの、実際に1960年代に起きた殺人事件をモデルにアメリカの犯罪に対する法律を変えてミランダ判例を生み出した事件をドラマ化したストーリーで、事件を担当したニューヨーク市警の刑事、テリー・サバラスが演じたそのキャラクターがもったいないとTVシリーズ化された珍しい作品であった。

 日本語版は額田やえ子が翻訳し、ドスの効いたサバラスの口調を森山周一郎が演じていて、1970年代のハードタッチの風を呼んだ。コジャックはギリシア系のアメリカ人(テリー・サバラスはギリシア系だった)で、イタリア産の三つ揃いのダンディなニューヨーク派で、イタリア産のコロンボの洋服にこだわらない性格と好対称で、新しい刑事像を見せた両作品でもあった。

第75回 現実を描く70年代のアメリカTV界

 1968年頃から泥沼化を続けるベトナム戦争、若者たちの反戦運動、CBS-TVの『60 Minutes』というニュース番組はベトナム戦争の現場に取材記者とカメラを送り込み、現地の兵士の声や表情、情景をアメリカ家庭に送り出した。CBS-TVの放送チェックの倫理委員会はそれまでTVドラマのニュース原稿のセリフを全てチェックし、修正してきたのだが(例えば『ミステリー・ゾーン』のラストシーズンの第一話でロッド・サーリングが書いた、南ベトナムで起きた戦闘のストーリーを北ベトナムでの事件に倫理委員会が修正させていた。南ベトナムでは戦闘は起きていないという意見だった)生放送のために、チェックは不可能だった。

 ブラック・ホームコメディのヒット作『ALL IN THE FAMILY』(1971-79)のセリフは、同性愛、ドラッグ、婚前交渉とフラワーチルドレンのセリフ満載で、半分以上が赤字になってしまい、チェックすることが出来なくなっていった・・・これもCBS-TVのドラマだった。

 『ハワイ5-0』(1968-80)が先行していたオールロケ撮影のポリス・ドラマも1972年クイン・マーチンプロがサンフランシスコを舞台にベテラン刑事のカール・マルデンと熱血漢の若い刑事マイケル・ダグラスのコンビの『サンフランシスコ捜査網』(1972-77)をスタート、1973年にはコロンビア映画のTVプロがロサンゼルス警官のさまざまなポリス・ドラマを毎回主人公を変えて描く『ポリス・ストーリー』(1973-80)(警官出身の作家ジョセフ・ウォンボーが作品アドバイザーになっていた)をスタート。現場の空気がドラマがTVミステリの中に息づく新しい時代がやってきたのだ。

第74回 暴力シーン反対に揺れるアメリカTV界

 ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺、キング牧師の暗殺、ケネディ弟議員の暗殺・・・あいつぐ暗殺事件にさすがのアメリカ社会も考え始めてしまった。何かがこうした風潮をあおり、呼んだのではないだろうか? それはTVで毎日見ているTVドラマ番組の銃撃シーンやなぐる、けるの暴力シーンにあるのではという意見が出てきたのだ。ミノー発言といわれる時代のムードが急遽高まっていった。

 西部劇のTVドラマの中で銃は急速に使われなくなっていったり、『スタートレック』のようなSF物でもフェイザー銃を撃たなくなり、会話劇で成立するような『若き弁護士たち』(1969-71)や『外科医ギャノン』(1969-76)などの医者物、ホームドラマやホームコメディが増えていき、アメリカのTVドラマの勢いが弱まってしまった。『ハイ・シャパラル』という西部劇などは飛行機や自動車が出てくるモダンでユーモアも小味が利いた良いウエスタンだったのだが、妙にユーモラスにストーリーを寄せて “なんか変なモードとなったな~、なんだコレ?” といった感じだった。

 この暴力シーン反対のムードの中でTV西部劇の時代は終わり始めていく。長寿番組だった『ガンスモーク』(1955-75)も『ボナンザ』(1959-73)も1970年を過ぎて終幕していくのだ。『スタートレク』の第三シーズンが終わるのも、この暴力シーン反対のムードが理由の一つなのだから、大きな問題だった。1972年頃からこの反動が起こる。アメリカTV界は現実に切り込む刃をといで、時代のリアリズムを取り戻していくのだ。

第73回 なんとも楽しい『0088ワイルド・ウエスト』

 『0088ワイルド・ウエスト』(1965-69)はフジテレビ系、東京12チャンネル系で放送されたが、日本語版のキャストはウエスト役を野沢那智、ゴードン役をベテラン大塚周夫と最高のキャスティングで版権を持つワーナーブラザーズTVが非力で日本ではまったく再放送しないのが残念でならない。

 ウエスト役のマイケル・コンラッドは、ワーナーブラザーズTVの『ハワイアン・アイ』で私立探偵チームの一人を演じ、人気者になったが、特撮ファンには『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』『怪獣大戦争』でおなじみの俳優だったニック・アダムスの愛弟子であった。下積みの長かったニック・アダムスは若手の俳優を集めて、乗馬や格闘テクニック(マーシャル・アーツの達人だった)投げ縄や銃さばきを自分の牧場で教えていて、コンラッドはその出世頭だった。だからマイケル・コンラッドは、どんなアクションシーンでもスタントマンを使わず自分で演じて、二階からロープで下へ降りていくシーンで壁に直撃して救急車で病院へ直行と3度も病院へ入っても平気でアクションをやり続けた。

 ゴードンの七変化ぶりも見せ場で、メーキャップはフレッド・フィリップスが仕切り、『スタートレック』の特殊メイクのスタッフがも担当しただけあって、ロス・マーチンの表情を生かしながら、ユーモラスに七変化を盛り上げ、陽気な作品タッチに貢献した。

第72回 SF西部劇『0088ワイルド・ウエスト』

 日本に時代劇とSFを合体した『仮面の忍者赤影』があれば。アメリカのTVシリーズにも西部劇とSFを合体させた『0088ワイルド・ウエスト』(1965-69)があった。“大西部の007” をイメージした出発点からプロデューサーのマイケル・ギャザリングが立ち上げたTV番組で、時代は南北戦争から10年、グラント大統領の勅命を受けて、西部地帯における怪事件、難事件を解決していく情報部員がガンマンのジェイムズ(ジム)・T・ウエスト(ロバート・コンラッド)と変装の名人アルテマス・ゴードン(ロス・マーチン)の2人の活躍を描く西部劇のアクションTVシリーズだった。

 ところが、ウエストやゴードンが戦うのが、死体を人間爆弾に改造してアメリカ政府に買えと言ってくる女性版フランケンシュタイン博士のホスモーナ博士、海底火山にフタをしてフタを一気に開けて人工津波を起こすキャプテン・ファイロ、人工地震に、森や大地を枯らし、二次元転移で絵の世界へ人間を送り込み、あらゆる人間を30センチに縮小して支配しようとする天才科学者ラブレス(情け無用の)・ミゲリート博士というネモ艦長もかくやというマッド・サイエンティストばかりで、特にミゲリート(マイケル・ダン)とはウエストは8度も戦った宿敵であった。

 マイケル・ギャリソンは途中で亡くなり、ギャリソンの友人ブルース・ランズベリーがプロデューサーになって108話の本数でヒット作に成長していった。

第71回 『刑事コロンボ』の手練のスタッフ

 『刑事コロンボ』の成功は傑出したスタッフによる力が大きかった。脚本のリチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクにスティーブン・ボチコ、ラリー・コーエン、ピーター・S・フィッシャー、監督のボリス・セーガル、スティーブン・スピルバーグ他実力派のスタッフが揃い、TVミステリの裾野を広げていった。

 最初にセレブの犯人が知能犯ならではの犯罪を起こすシーンを丁寧に見せていき、妻の、ダンナの、相棒の死を見せてから翌日ロサンゼルス市警のコロンボ刑事(ピーター・フォーク)が警察関係の検死作業の中に遅れて登場してくる。くしゃくしゃの起きぬけのような髪の毛にヨレヨレのレインコート、口には葉巻をくわえて・・・

 日本語版ではクセのある悪役や脇役のうまい芝居で有名な俳優の小池朝雄がコロンボを演じてこのキャラクターを立体化していった。翻訳は『コンバット』『逃亡者』を担当していた額田やえ子で、同時に額田やえ子は『刑事コジャック』も担当して、デカ(刑事)の呼吸さえ感じさせるセリフを描き分けて、コロンボやコジャックのセリフをみがきあげていった。

 コロンボの対決するゲスト俳優もジーン・バリー、デビッド・キャシディ、ロバート・カルプ、パトリック・マクグーハン、ベン・ギャザラ、ウィリアム・シャトナー、ロバート・ヴォーンと主役クラスの俳優ばかりでピーター・フォークは30テイクあたり前という演技のこだわりを見せ、「もう一つ良いですか?」とか「うちのカミさんが言うには・・・」と名セリフ、ポーズを生み出し、ピーター・フォーク一代の代表作として放送されていった。

第70回 『刑事コロンボ』の生みの親」

 『刑事コロンボ』(1968-78)を生み出した脚本家ウィリアム・リンクとリチャード・レビンソンは1960年代前半フォースター・プロ製作の『バークにまかせろ』(1963-66)でメイン・ライターとして評判をとった。『バークにまかせろ』は、アーロン・スペリングがプロデューサーのTVミステリーだ。ロールス・ロイスを愛車にする大富豪のロサンゼルスの刑事部長エイモス・バーク(ジーン・バリー、日本語版の声はローン・レンジャーやモーガン警部も演じていた若山弦蔵)がいろいろな目撃者と会話するうちに、会話の中から事件の真相をつかんでいく『刑事コロンボ』の原点のようなスタイルだった。SF作家ハーラン・エリスンも脚本を書いていた。

 サミー・デイビスJr. が目撃者で、バークが「君がボードビリアンのコードウェナー・バードかね?」と聞くと、サミーが机の上に跳び上がってタップを踊りながら「そうよ、俺の人生は17から曲がりっぱなしよ」と歌い、「自分のことかよ」と、TVの前で引っくり返ったことがある。

 フォースター・プロは、デビッド・パウエル、デビッド・ニーブン、アイダ・ルピノ(もう一人は誰だっけ?)という映画スターが作った製作会社で、友人のスターが友情出演で1分ぐらいカメオ出演することがあった。後に『バットマン』でビルの壁をバットマンとロビンがロープを伝って登っていくと、窓から人気者のスターが出てきて会話するカメオ出演が話題になったけど、『バークにまかせろ』はその走りだった。どこかセリフにユーモアがあって、イギリスのミステリー作家アガサ・クリスティの『ポワロ』や『ミス・マープル』を愛したレヴィンソン&リンクの好みが出ていて、それは『刑事コロンボ』にもつながる個性だった。

 この『バークにまかせろ』のゲストで女性私立探偵のハニー・ウエスト(アン・フランシス)が主演し、彼女を主役にスピン・オフしたテレビ番組が『ハニーにおまかせ』(1965-66)であった。ヒロインが主人公になったアメリカ初のTVミステリー番組であった。『女刑事ペパー』や『チャーリーズ・エンジェル』は、その後継者なのであった。

第69回 スマートな味わいの『スパイのライセンス』

 甘いマスクとスタイルあいい映画俳優ロバート・ワグナーは若手の伸び盛りだったが、もうひとつ映画のヒット作に恵まれなかった。ユニヴァーサルTVの『スパイのライセンス』(1968-70)(初期は『プロスパイ』というタイトルもあった)は、スパイ物のTVミステリの中で異色の味わいがあって、アレックス・マンディーというロバート・ワグナー演じる男が天才的な怪盗で、SIAというアメリカ政府の諜報機関がマンディーに依頼して、敵国やテロ組織、陰謀団の秘密や金庫の財宝を盗ませるというのがメイン・ストーリーだった。監獄にいるマンディーを協力すれば、とりあえず自由の身にしてやるという設定だが、シリアスというよりもユーモアタッチがそこにあって実に不思議な設定だった。

 この浮世離れした設定とキャラクターをレスリー・スティーブンスが1話から3話までプロデューサー、監督、脚本、監督としてフォーマットを完成させ、軽快なヒット作に成長した。

 日本語版では城達也がロバート・ワグナーを演じ、グレゴリー・ペックの『ローマの休日』とも違う若々しい声で女性ファンを魅了した。ジーン・L・クーンもプロデューサーとして参加し、脚本とプロデューサーとして育てたのがグレン・A・ラーソンであった。グレン・A・ラーソンは最終2本をプロデューサー、脚本として参加、ジョセフ・サージェント監督の最終戦争物と環境汚染の危機というSFタッチの異色作でラーソンの才能を見せ付ける好編だった。

第68回 90分枠を開発した『ネーム・オブ・ザ・ゲーム』

 ユニヴァーサルTVが90分の大型ドラマの形で連続TVドラマシリーズを作り出した時、「こういうやり方が成立するのか!?」というショックがあった。『ネーム・オブ・ザ・ゲーム』がそれで犯罪実話のレポートやミステリが載る雑誌の出版社社長(ジーン・バリー)、刑事上がりの編集長(ロバート・スタック)、あらゆる事件や社会問題を追いかける事件記者(トニー・フランシオサ)の3人が主人公で毎回一人一人が主役になっていろいろなタイプのクライム・ストーリーが毎回完結で描かれていく。

 『バークにまかせろ』(1963-66)の主役ジーン・バリーに『アンタッチャブル』のエリオット・ネス役のロバート・スタックの存在感が圧倒的で何人ものプロデューサーが分担して作品を製作した。作品の出来としては若手のトニー・フランシオサを使って社会問題を追うレスリー・スティーブンス製作、監督のパートがいい仕上がりで、『アウターリミッツ』や『スパイのライセンス』(1968-70)で知っていたレスリー・スティーブンスの面目を一新した作品だった。

 日本では未放送の後ろのシーズンで、100年後のこの出版社の事件を描いたスティーブン・スピルバーグ監督のエピソードが評判を呼んで『刑事コロンボ/構想の死角』と共にスピルバーグという存在にTVファンが最初に気づくきっかけとなった作品として有名になった。

第67回 『奥様は魔女』のヒットの理由

 『奥様は魔女』(1964-72)の魅力は、中心監督ウィリアム・アシャー監督の明朗な作品タッチ(彼はビーチ・ムービーのヒットメーカーで、不良ムードを一掃してしまった。なぜなら彼もサーファーで、サーフィン仲間の気質を知っていたからだった)製作時にエリザベス・モンゴメリーと新婚状態だったアシャー監督は「君の代表作を必ず作ってあげるよ」といつも彼女に語っていた。

 魔女であるサマンサを演じるエリザベス・モンゴメリーのキュートで笑顔がステキな若奥様ぶり、サマンサが愛するダーリンを演じるディック・ヨーク(戦争中の古傷である腰痛が悪化してヨークは降板するが、二代目ダーリン役のディック・サージェントは元々ダーリン役のオーディションで二番目の候補だった俳優でダーリンのイメージは変わらなかった)。人間と結婚した娘サマンサが気に入らず、ダーリンにことあるごとにイタズラの魔法をかけるエンドラを演じるアグネス・ムーアヘッドのアンサンブル。

 ムーアヘッドはオーソン・ウェルズがラジオで多用したベテラン女優で、自分のメイクやエンドラの役柄に物足りず、「どういうこと?」と思っていたが、高まる番組の評判に「女を認めないアメリカの男社会を笑ってやろう」という意識変化が起こり、自ら監督に演技プランを言い出すほど役柄に熱中した。

 日本では『奥様は18歳』(中心ライターは佐々木守だ)魔女っ娘第一号アニメ『魔法使いサリー』日本版メリー・ポピンズうぃ狙った『コメットさん』(原案はこれまた佐々木守)『うる星やつら』と数々のラブ・コメディの影響作が出現した。

第66回 日本でも大ヒットした『奥様は魔女』

 『奥様は魔女』(1964-72)のセリフを翻訳した木原たけしは元々俳優で外国TVシリーズの配役でキャスティングされていた。ただ、英語が得意で、時々「このセリフ意味間違ってますよ」と誤訳を指摘するのでディレクションをしていた東北新社の植村伴次郎社長(初期の作品では社長自ら演出を手伝っていた)が、「木原、お前翻訳をやってみないか?」と翻訳家への転身を勧めたのだ。

 そして翻訳の最初の作品が『ミスター・エド』であった。しゃべる馬のエドの声を担当した落語家の三遊亭小金馬の出演交渉には上村伴次郎社長が自ら出かけてOKをもらってきたエピソードもある。

 日本語版の内池望博ディレクターは語る。

「それまで、翻訳は字幕や小説の翻訳家をやっていた方が多くて、役者が話すとうまくはまらない訳が多かった。“この人、芝居やったことないな” とすぐ判った。僕らは高校の頃から舞台やってますからね。木原たけしは役者だったからセリフのこと知ってるし、コメディならなおさらですよ。『ミスター・エド』もよかったし、『奥様は魔女』もとても翻訳が良かった。それでももう一工夫日本語のギャグにしようと、アフレコの前夜、台本は直し続けましたけどね。」

 『奥さまは魔女』はたちまち日本でも30%近い視聴率をかせぎ、日本のTV界にラブ・コメディの影響作を生み出していった。

第65回 虚無的な『インベーダー』の魅力

 若き建築家デビッド・ヴィンセント(ロイ・シネス)が主人公で、ヴィンセント以外のレギュラーがいないために。俳優費用に余裕があって『インベーダー』(1967-68)のゲスト俳優には見応えのあるキャストが多かった。J・D・キャノン、ダイアン・ベイカー、マイケル・レニー、バージェス・メレディス、エドワード・G・ロビンソン、ジャック・ロード、ウィリアム・ウィンダム・・・インベーダーの幹部、円盤を目撃した人物、インベーダーに利用される政治家や実業家、軍人、他のTVシリーズではないパターンで『逃亡者』を製作したクイン・マーチンプロならではのTVシリーズだった。

 インベーダーを目撃し、あるいは秘密を知られただけで心臓麻痺(首筋をその円型の手の平サイズのマシンで押さえると殺せる演出がショッキングだった)で殺すシーンも何度もあり、この意味なく人が殺される描写は普通のTVミステリーではありえない描写でSFだからでインベーダーの非人間性を表す描写として抜群であった。アーウィン・アレン作品とよく比較して語られる『インベーダー』だがむしろイギリスの『プリズナーNo.6』の人間の持つダークサイドと比べて論じたほうがいいかもしれない。

 ヴィンセントの声は俳優の露口茂が演じ(名演だった!)翻訳は木原たけし、東北新社の『アウターリミッツ』『ラットパトロール』の小林守夫ディレクターが日本語版をまとめあげた。小林守夫ディレクターは後に『ヒルストリート・ブルース』の日本語版も担当する。人間群像をさばく演出は『インベーダー』でも情感描写の部分で発揮されていた。

第64回 ミッド・シーズン開始の 『インベーダー』

 アメリカのTV番組は1年分26回が基本(今は22回が多い)で、残りは再放送で、そこで視聴率、評判が高い番組が続行可となるのだが、時に新番組が最初から視聴率が伸びず、評判も悪くて急遽キャンセルとなってミッド・シーズン17回分として新番組が始まることがある。『ミステリー・ゾーン』の1時間バージョン、第四シーズンがそうだし、クイン・マーチンプロの『インベーダー』(1967-68)がそうであった。

 『インベーダー』の企画は『刑事コロンボ』の凝った脚本で知られるラリー・コーエンで映画『空の大怪獣Q』や『マニアック・コップ』の脚本を書く異才の人であった。当初、週2回放送30分2本で1話になるバイ・ウィークリー形式の放送を狙っていて、20世紀FOX-TVのスキャンダル恋愛模様『ペイトン・プレイス物語』、『バットマン』が成功していたからだ。だが、クイン・マーチンは地方局へのセールス、海外セールスいそのやり方は難があると言い出し、毎週60分の形にしたいと言い出した。「それでは話が違う」とコーエンは降板し、アラン・A・アーマープロデューサーが設定を一新した。

 まず作ったのがオープニングで「滅びゆく星からの侵略者、彼らをインベーダーと呼ぼう」という部分だった。音楽は『アウターリミッツ』や『ラットパトロール』(1966-68)のドミニク・フロンティア。画面が中央でギザギザに切れるタイトルも印象的だった。映像を次々に積み重ねて観客を追い詰めていくジョセフ・サージェント監督と感情を押してエモーションの高まりで魅せるポール・ウェスドン監督の2人が中心になって迫真のドラマが生まれ、第一シーズンはベスト20の視聴率で注目されたシリーズだった。

第63回 SFファンが見る 『プリズナーNo.6』

 『プリズナーNo.6』はスパイ物かSFTVかというのは長くファンの間で語られているが、『ジョン・ドレイク』をベースにスパイ物の世界から生まれたストーリーであるのは間違いないだろう。ただ、この中でジャック・シャンパン美術監督が生んだ村民を監視する<村>の中央センターや<ローバー>と呼ばれる謎の白い球体のガーディアンの描写(セット・デザインには『サンダーバード』『キャプテン・スカーレット』のコンソールとセット・デザインをしていたジョン・ラギュー・デザイナー引き抜かれて参加して腕をふるっていた)SFタッチの装置のイメージが作品の味わいにあるインパクトを与えていたのは間違いないと思う。そのSFモードは不条理にも似たテイストを生んでいて、その演出モード、編集が50年たっても斬新なのだ。

 第一話のドン・チャフィー監督の演出、ジョン・ライズナー作曲の軽快でダイナミックな音楽のオープニングの力強さ(雷鳴や車の排気音、ガツン、ガツンという靴音、ドアをバーンと開く音までカットと合わせるエフェクト音のカッコよさ。TVドラマ史上に残るオープニングの秀作だった)全話を撮影したブレンダン・J・スタフォード撮影監督の屈しない男No.6の顔のアップの表情のシャープさ、第一話で仰天した作品だった。

 日本語版の翻訳は木原たけし、加藤敏ディレクターでNo.6の声は小山田宗徳。対決するNo.2は若山弦蔵、矢島正明と主役クラスを配役。迫真のドラマを日本語に移し変えていた。

第62回 不滅の 『プリズナーNo.6』

 世界的なヒット作になった『秘密情報員ジョン・ドレイク』は、モノクロTVシリーズで、製作元のITCはカラー化に向けて動き出した。ところが、ジョン・ドレイクを長年演じたパトリック・マクグーハンが別の企画をヤリたくなっていたのだ。『ジョン・ドレイク』のスタッフだった脚本のジョージ・マークステイン、助監督のデビッド・トンブリン、監督のドン・チャフィーを説得して、『ジョン・ドレイク』がカラー化3本進んだところで「このシリーズをやらせてほしい」とITC総帥ルー・グレイド社長のところへマクグーハンは乗り込んでいった。『プリズナーNo.6』の企画だった。

 7本のストーリーに対して「26本ないと世界でセールスできない」とルー・グレイド。どうしてもやりたいマクグーハンは自分で総合プロデューサー、監督、主演を条件にして26話の製作を確約した。ルー・グレイドはその条件でOKを出し、デビッド・トンブリンの会社アンブリン・プロが製作チームを組み、撮影が始まった。

 ところが作品の仕上がりにこだわるパトリック・マクグーハンが次第にわがままとワンマン振りを発揮し、プロフェッショナルなスタッフは衝突して離脱していく。(シリーズ構成のジョージ・マークステインが離脱したのは大きかった)作品も17話しか出来なかった。デビッド・トンブリンが得意の不条理タッチで埋めようとしても無理であった。ただし、作品はマクグーハン入魂の仕上がりで初めてTV放送で見た時「ここまで好き勝手に作ったTVシリーズを見たのは初めてだ」と感激、SFタッチのラストに感じ入ったものだ。

第61回 『タイムトンネル』のベストエピソード

 タイムトンネル計画の主任研究員のダグ・フィリップス博士、若き時間論理の科学者トニー・ニューマン博士、この二人が時の漂流者になってしまう『タイムトンネル』だが、タイムトンネルがまだ未完成のために現代に回収しようとすると、別の時代に転送されてしまうというストーリーはTVシリーズとしてうまい設定だと思った。

 タイタニックに乗ってしまう第一回を見て「とてもTVとは思えない。日本のSFTVがここまで来るのに何年かかるだろう」と小学校6年生で思ったのをはっきり覚えている。

 1910年代のハレー彗星が迫る時代に転送された「世界の終わり」(アレン製作のTVシリーズ常連のソーベイ・マーチン監督)がベスト1のエピソードか。街はパニック状態でダグはハレー彗星の地球衝突を主張する天文学者アインスレーを説得しようと1966年の科学理論で黒板に数式を書いて論証しようとする。ところがダグの計算でも地球と彗星はぶつかってしまうと出た。

 「宇宙空間に目に見えない何かがあるんだ!」とダグ。望遠鏡を向けると“何か”の強力な輻射エネルギーがあった。「目に見えないが、これなら彗星の軌道は変わるぞ」とアインスレー。ところがその輻射エネルギーとは1966年のタイムトンネルだったのだ。タイムトンネルを出口にハレー彗星が現代に飛び出してこようとするクライマックスの迫力!

 タイムパラドックスを越えたSFマインドがあって、ソーベイ・マーチン監督の力量がはっきりと出ていた。『タイムトンネル』はSFTV史上の中でもっと語られていいTVシリーズだと思う。

第60回 時間SFに挑んだ『タイムトンネル』

 アーウィン・アレンのSFTVシリーズの第三作が『タイムトンネル』(1966-67)だった。アメリカのTVドラマ初の時間テーマSFで、20世紀FOX撮影所のウィリアム・Jクレーバー美術監督が奥に向かって小さくなっていく多重リング状のタイムトンネル装置をデザインして、固定型の時間旅行マシーンとして時間旅行テーマに全く新しいイメージを生んだ。

 月旅行で米ソが国家をあげて宇宙計画を進めていた1960年代、アメリカの国家プロジェクトとして「チクタク計画」という時間旅行プロジェクトが、アリゾナ砂漠の地下深く進められているというストーリーは妙な説得力があった。

 ウィリアム・J・クレーバーの美術セットとL・B・アボットの特撮監督のキラめく光のエレメントの中に落ち続けて回転しているダグとトニーの時間流の中の転送イメージ(アニメの『タイムボカン』『ドラえもん』もこのイメージを流用せざるを得なかった)、トンネルの入口に両サイドからグリッドが伸び、空中にスクリーン画像で過去や未来が映る抜群のアイデア、日本ではNHKで放送され東北新社の加藤敏夫ディレクターが日本語版をまとめてアメリカのABCよりも評判になり、今でも一般用語として「タイムトンネル」はTV番組や雑誌記事のタイトルで現役だ。1年で終了したのは残念の一言で、実に印象的なTVシリーズだった。

第59回 脚本家ブライアン・クレメンスの夢宇宙

 イギリスで1961~69年放送された『おしゃれ秘探偵』(原題『AVENGERS』)は脚本家ブライアン・クレメンスが文字通り育てていったヒット番組だったが、ブライアン・クレメンスとデニス・スプーナーは親友だった。1966年頃、『おしゃれ秘探偵』と『電撃スパイ作戦』は同じ撮影所の別ステージで撮影していた。だから、昼のランチはクレメンスとスプーナーはいつも一緒に食べていた。「こんなストーリーをまず思いついたんだが、後半が難しいんだよ」とクレメンス。「それならこういうアイデアがある。どう思う?」とスプーナー。「なんなら僕が脚本を書いてやろうか?」とクレメンス。

 だから『電撃スパイ作戦』の中にいきなりブライアン・クレメンスの脚本が出てきたり、『おしゃれ秘探偵』の中にスプーナーの脚本が現れたりしたのだ。

 ブライアン・クレメンスは『The New Avengers』をイギリスとフランスの合作で製作した後、『特捜班CI-5』をシドニー・ヘイヤーズ、デニス・スプーナーたちと製作、イギリスきってのストーリー・テラーとしてTV界で活躍し続けた。

 2016年に亡くなったが、私が最も大好きだったTV脚本家の一人だった。

第58回 奇才!デニス・スプーナーのアイデア

 霧に包まれた朝方の地方町、よく見ると地上に倒れ伏している町の人々が何十人も倒れている。すると宇宙服のような気密服で歩いている何十人もの姿が。いったい何が起こったのか・・・オープニングが始まる。『秘密指令S』の一編だが、デニス・スプーナーのイメージが判るだろうか。

 モンティ・バーマン製作、シリーズ構成・メイン脚本デニス・スプーナー、シリーズ監督(第一話を監督、キャスティングと一話をどれぐらいの予算、スケジュールで撮るのかをコントロールすると本人が語っていた)のシリル・フランケルのトリオはITC製作で国際諜報機関ネメシスの3人の情報部員クレイグ、リチャード、シャロンの3人が中国のチベット奥地にある最近兵器の研究所から細菌を盗み、脱出する途中に飛行機でヒマラヤ山中に墜落、謎のスーパー文明の手で助けられ、超能力を与えられて超人的な活動でスパイとして活躍するという『電撃スパイ作戦』(1968-69)。

 ホップカークにランドールという2人の私立探偵の1人、ホップカークが事件の調査中に殺されてしまう。だが、ホップカークは幽霊になってランドールの前に現れ、ユーレイ+私立探偵の迷コンビの探偵稼業が始まっていくユーモア・ミステリTV『幽霊探偵ホップカーク』とイギリスならではの作品を1960年代後半作り続けていく。後にスプーナーは『特捜班CI-5』のシリーズ構成も手がけ、1970年代のイギリスTVの新しいアクション作品のハードタッチの波を生んでいった。アイデア・メーカーの才人であった。

第57回 不可能犯罪物の『秘密司令S』

 ラエイー・ジョンソン作曲の軽快なテーマで始まるオープニング、推理小説家でするどい推理力を見せるジェイソン・キング、抜群の行動力で事件を追うスチュアート・サリバン、あらゆるデータを分析して謎を暴く美しきコンピューター・プログラマー、アナベル・ハースト・・・この3人にインターポールのセレスト卿から指令が出ると、捜査が開始される。

 『バロン事件帳』をヒットさせたモンティ・バーマン、『ドクター・フー』『おしゃれ秘探偵』『サンダーバード』の脚本家デニス・スプーナー、『ギデオン警部』やハマープロダクションのホラー映画で知られたシリル・フランケル監督のトリオが作り上げたTVシリーズ、それが『秘密指令S』だった。

 製作元のITCはジェイソン・キングを演じるピーター・ウィンガードは年寄りじゃないかと心配するが「大丈夫。彼は素晴らしい味を持っているアクターだから」とシリル・フランケル監督が主張した。事実、ウィンガードは革ジャン、ピンクのフランネルのシャツ、胸毛にその口元のヒゲ、ファッション性で60年代後半から70年代初頭、イギリスのアイコンとなって多くの熱狂的な女性ファンを生んだ。

 ロンドン空港の滑走路で大臣がパジャマ姿で旅客機に頭を踏まれて死んだり、倉庫の中に建てられたビクトリア朝の調度品が並べられた部屋で起きた殺人などで出しの殺人の不可解モード・・・それを見事に論理的に解決する推理が見せ場なのだ。

第56回 実に行動的だったアイアンサイド

 アイアンサイドが本当にアームチェア・ディテクティブな車椅子の警察官だったらTVシリーズとしては退屈な物になっただろう。だが『鬼警部アイアンサイド』(1967-75)は車椅子を中型トラック(第一~第二シーズンはまるで囚人護送車の改造かという古風な中型トラックだった)の後部に乗り、黒人青年マーク・サンガーが運転手となり、あらゆる事件現場へ乗り出していく。部下のブラウン刑事はイブ・ホイットフィールド巡査を乗せてもう一台の愛車で進んでいく。

 このスタイルで、行動力を見せ、事件現場でシャーロック・ホームズばりにアイサンサイドは普通の警察官が見つけられない、気づかない事件の手がかりを見つけていく。ブラウン刑事やイブ、後半ではフラン・ベルディング巡査やマークと話している時は優しさを秘めた深みのある声、ひとたび事件が起きるや決断力と力強い発言の数々。日本語版の若山弦蔵の声は時にレイモンド・バー本人よりアイアンサイドを表現していて『アイアンサイド』から『刑事コロンボ』『刑事コジャック』『ロックフォード氏の事件メモ』の1966~76年ぐらいの日本語版の充実度、完成度が忘れられない。

 日本の地上波のTVゴールデン・タイムで堂々と外国TVシリーズが放送されていた。外国TVファンになったのも、この時代に空気のようにすぐれた作品を見ていたためと痛感する。

第55回 レイモンド・バーの代表作『ペリー・メイスン』

 レイモンド・バーのTVシリーズの代表作はまず、弁護士物の『ペリー・メイスン』(1957-66)だろう。本物の弁護士だったE.S.ガードナーが書いたミステリー小説『弁護士ペリー・メイスン』シリーズが原作でレイモンド・バーはこの作品でエミー賞主演男優賞を受賞している。TVミステリーの中に法廷物というジャンルを確立したTVシリーズで社会派のドラマだった。レジナルド・ローズ製作・脚本の『弁護士プレストン』(1961-65)、ベテランと若手の弁護士の対立で見応えのあった『若き弁護士たち』(1967-71)、型破りの主人公だった『弁護士ペトロチェリー』(1974-76)と弁護士のTVシリーズは個性派揃いだった。

 『ペリー・メイソン』は日本ではまずフジテレビで放映して、NHKのホームドラマやTBSの『七人の刑事』で知られた俳優 佐藤英夫がペリー・メイソンの声を演じた。後になって『アイアンサイド』のイメージがあったから若山弦蔵がメイスンの声を演じ、再放送では若山版が多かったと思う。

 マイルドな味わいと真面目さが目立つ佐藤版と押し出しのある説得力が若山版。いずれも魅力的だった。これは原作小説がそうなのだが、困っている女性の依頼人をその推理力と弁舌で助けるペリー・メイソンの魅力はまさに頼もしい男性像で、秘書のデラ・ストリートの献身ぶりと、頭の良い、品のあるムードはアメリカTV史の中の秘書像のベスト・イメージで彼女のファンも多かった。

第54回 『鬼警部アイアンサイド』の実力

 ミステリーの私立探偵物の中で、頭が切れて、あらゆる犯罪パターンに精通して、事務所の机の前に座りながら事件のデータを聞いただけで怪事件の謎を解いてしまうアームチェア・ディテクティブ(椅子に座った名探偵)というジャンルがある。TVミステリーの警察物の中でまるでこのアームチェア・ディテクティブを狙ったかと思われたのが『鬼警部アイアンサイド』(1967-75)だった。

 90分のTVムービーであるパイロット・フィルムから始まって、別荘の山小屋で狙撃されたロサンゼルス警察部長ロバート・アイアンサイド(レイモンド・バー、日本語の声は若山弦蔵)が病院へと救急車で運ばれるところから物語はスタートする。一命はとりとめたが、脊髄を傷め、下半身不随の車椅子生活を送ることになる。だが、鬼警部と言われるアイアンサイドは署長に自分で交渉して無料で働く特別顧問として警察捜査に復帰させてくれと頼み込んだ。手練れのアイアンサイドを失うのかと悩んでいた署長はOKを出し、ブラウン刑事とイブ・ホイットフィールド巡査を部下に警察署の階上に仕事部屋を作り、アイアンサイドはあらゆる事件の捜査に乗り出していく。

 『世にも不思議な物語』の企画・脚本のコリア・ヤングが企画し、ユニヴァーサルTVの製作で、8年以上のロングヒット作に成長していく。

第53回 『逃亡者』のうまさとは何?

 『逃亡者』(1963-67)のうまさは毎回オープニングで暗がりの中を逃げていく片腕の男の映像をはっきりと視聴者に見せて、真犯人でないにしても「彼は何かを知っているはずだ!」と思わせ、ジェラード警部はなぜ信じてやらない、気づかないのかとイライラさせる点でリチャード・キンブルに肩入れしてしまう点にあった。

 キンブルはアメリカのあらゆる東部、西部、南部の町に入り込むわけだが、町の名士といわれる町長や社長が家庭では実は暴力をふるって妻や子供を殴り、あるいは保安官が自分の利益だけを考える汚職警官だったり、黒人への差別主義者だったり・・・それを見過ごせない男として設定してあって、目だってしまうと「こいつ何者だ?」と正体がバレそうになってサスペンスが高まるのだが、アメリカの社会全体のモラルが実はもう壊れ始めているのではないか・・・ということを作品の中で予見することとなった。クライムドラマであると同時に社会派ドラマの性格を纏っていて『逃亡者』を見ながらまさに現代の何かをスケッチしてみせるのがそのスゴミであった。

 リチャード・キンブルを演じるデビッド・ジャンセンは一代の名演で、控え目で目立たないドラマの前半パートと誰かを守ろうとする怒りにも似た迫真の後半パートに「うまいな~この人」とうならせる演技とセリフを見せた。アメリカテレビドラマ史上に残る仕上がりであった。

第52回 追われる者と追う者の執念のドラマ

 クイン・マーチンは番組プロデューサーとしてアラン・A・アーマーをたてて、ディレクター・撮影スタッフ・脚本メンバーを集めさせた。アーマーは後に『頭上の敵機』『インベーダー』(1967-68)とクイン・マーチンプロの作品を担当した。

 医師のリチャード・キンブルは妻殺しの容疑で警察のジェラード警部によって捕らえられる。キンブルは暗がりのなかで逃げていく片腕の男を目撃していて、自分は妻を殺していないことを証言するが、誰も信じてもらえない。護送中に列車事故が起こり、キンブルは手錠を外して脱走する。片腕の男を捜して、キンブルのアメリカ全土の追跡行が始まった。執拗にキンブルを追うジェラード警部。果たして真犯人は見つかるのか? ジェラードはキンブルを捕まえるのか? 迫真のドラマが続いていく。キンブルは安ホテルに偽名で泊まり、髪を染め、バーテン、執事、肉体労働者と姿を変え、生活費を稼ぎながら、片腕の男を捜す・・・

 キンブルを演じるのはデビッド・ジャンセンで日本語版の声は俳優の睦五郎。ジェラード警部は眼光鋭いカナダ出身でイギリス、アメリカ両国で活躍していた俳優のバリー・モースで日本語版の声は加藤精三。2人だけが主演で毎回ロケ地とゲスト・スターを変えてドラマが進行していく。うまい役者を愛したクイン・マーチンはアカデミー賞受賞のスターもゲストに採用、演技合戦も毎週楽しめた名作だった。

第51回 『逃亡者』二人の生みの親

 アメリカで、イギリスで、日本で、いや世界中で最も人々の話題になったアメリカ製のTVドラマシリーズといったらやはりこの作品だろう。『逃亡者』(1963-67)だ。

 デビッド・ジャンセン、バリー・モース主演のクライム・ドラマだが、その誕生には2人の男の存在があった。『シャイアン』(1955-62)の途中から参加してヒット・シリーズに育て、『マーベリック』『サンセット77』(1954-64)をプロデュースして、メイン脚本家でもあり、のヒット作を連発た才人ロイ・ハギンズ。ハギンズはワーナー・ブラザーズTVを離れ、ある企画を暖めていた。始めは20世紀FOXに話を持っていったが、1年経っても反応がなかった。実際に起こった殺人事件の真犯人は別にいてその犯人を捜し続ける苦闘のドラマだったがABC-TVがその内容に「やりたい」と言い出した。

 「製作はやってくれるんだな」とABCが言うと「いや、時間がたって今別の仕事で自分はやれないんだ」と言う。「じゃ、どうするんだ?」「この企画をやれるのはクイン・マーチンだけだ。奴に自分のプロダクションを作らせてやらせればいい」とハギンス。ABC-TVはデジル・プロのヒット作『アンタッチャブル』の放送局で、当然そのプロデューサーのクイン・マーチンは知っていた。この話はクイン・マーチンがOKして、クイン・マーチンプロを設立して、ABC-TV、クイン・マーチンプロ製作の『逃亡者』がいよいよスタートすることになるのだった。

第50回 70年代の風を呼ぶ『ハワイ5-0』

 大評判になったフジテレビ系の『スパイ大作戦』のシーズンが終わると新シーズンが始まるまで半年放送されたのがCBS-TVで放映されていた『ハワイ5-0』であった。2010年にリメイクされて今も第六シーズンが放送中だが、レナード・フリーマンプロデューサーが企画、パイロット版や重要エピソードの脚本を書き、ハワイを舞台に知事直属の警察の特別捜査チーム、ハワイ5-0を率いるのはスティーブ・マクギャレット(ジャック・ロード)アメリカでは12年を越えるロング・ランとなった大成功作だ。モートン・スティーブンス作曲のオープニングはベンチャーズの演奏リミックス版レコードはヒットチャート1位になり、リメイク版でもそのまま巻頭を飾っていて、覚えている人も多いだろう。

 スタジオ中心の撮影が多かったTVポリスものの中で『ハワイ5-0』はハワイ全土で大胆なロケーションを敢行。ハワイ5-0本部はスタジオだが、後はロケ撮影でフィルムをアメリカ本国に送り、現像所で現像、ハワイへ送り戻して完成させるというやり方だった。「アメリカ警察ものの映像はここから変わっていく!」と日本初放送で思ったのを覚えている。朝鮮戦争の頃からライバルだった中国系スパイ、ウォー・ファットとはSFタッチの攻防を見せ、海軍情報部出身のマクギャレットは空手や格闘もお手の物で肉体派の主人公として異彩を放った。『ハワイ5-0』は私の最もお気に入りの警察物のTVシリーズだった。

第49回 ドクター・スミスの持つインパクト

 1990年代に『宇宙家族ロビンソン』のファン大会があって、ウィル役のビル・ムーミーが現れて大歓声となるが、なんと一番バカ受けするのはドクタ-・スミス役のジョナサン・ハリスの登場だった。

 さっそうと右手をドクター・スミス得意のポーズ「諸君、恐ることなかれ、ドクター・スミスここにあり」「どんな敵もひとひねりですぞー(ニヤリ)」ジョナサン・ハリスのインタビューを読むと単なるゲスト俳優ではなく「自分では毎回出るスペシャル・ゲストスターのつもりで必ず場をさらってやろうと考えていた」と語っていた。ふと気がついてみると毎回出ているオープニングのクレジットもスペシャル・ゲストスターになっているじゃないか!?「ロボットとのやりとりは一人芝居の面もあって表情や仕草、けっとばしたりベーと舌を出してバカにしたり表情の出ないロボットの分までこっちが動かなくちゃ、だんだんいい味が出てきてドクター・スミスとロボットのシーンが面白いとよくファンに言われたよ」ハリスは笑う。

 日本語版は山田実が翻訳してハリスのセリフを見事に日本語に組み替えた。『ひょっこりようたん島』の海賊トラヒゲ役でブレイク中の熊倉一雄がドクター・スミスを演じて、ハリスの表情、仕草を声の演技力でさらにパワーアップして見せた。一代の名演だった。悪役なのになぜが気になるキャラクター、ドクター・スミスはまさに悪役中のトリック・スターであった。

第48回 ウィル少年とドクター・スミス

 ロビンソン一家の長男ウィル少年は、頭が良くて快活でいつも笑顔の明るい男の子だった。『宇宙家族ロビンソン』のメイン・ライターだったボブ&ワンダ・ダンカン夫妻はこう解説する。「ウィルはアメリカの父親、母親が我が子にこうなってほしいという子供だった。勇気もあって、失敗してもメゲない心、そんな理想の子供だった」

 ところが、ドクター・スミスは見栄っ張りで自信過剰、嘘つきで弱虫、すぐグダグダ言い訳ばかり・・・ボブとワンダは笑いながらこう語るのだ。「ドクター・スミスは両親が自分の子供に絶対なってもらいたくないダメな子供、困ったちゃんの子供の典型だった。私たちはウィルがトム・ソーヤーでドクター・スミスがハックみたいな感じを考えていた。学校をさぼろうとかちょっと悪いことにハックが誘うと、トムは面白そうだとつい乗って、一緒に出かけてしまう。ウィル少年のダークサイドがドクター・スミスなんですよ。だからドクターに誘われてとんでもない事件が始まるんです」父親役のガイ・ウィリアムスは回想してこう語る。「ドクター・スミスとロボットシンドロームって僕らは言ってたけど、ウィルとあわせてこの3人が物語の中心だった(笑)。番組のはじめは、けっこうシリアスだったんだけど、だんだんホームコメディみたいになっていった。でもそれで人気番組になっていったんだ」

 ドクター・スミスを演じたジョナサン・ハリスは毎夜フライディをからかう「カンカラロボット」「屁理屈ロボット」「スットコドッコイロボ」と思いつきメモして、フライディとの漫才を盛り上げ続けたのだ。

第47回 セリフも印象的なロボット・フライディ

 アーウィン・アレンは大学でジャーナリズム学を勉強して卒業後まずやった仕事がラジオ番組だった。「ハリウッド・メリー・ゴーランド」という映画の情報番組の司会・製作で、年間100人以上のスター俳優、宣伝マン、監督・脚本家を取材、全国の新聞にも記事を配信した。

 番組はヒットし、そのままTV番組化され、アレンは親しくなったスター、俳優や脚本家と映画会社との交渉を手伝ったりして、映画プロデューサーへの道へ進み始める。そのラジオ、TV番組のナレーターで使っていたのが俳優のデビッド・タッフィールドだった。

 デビッドはディズニープロのヒット作『快傑ゾロ』のナレーションを担当して、子供たちにとってなじみのある声になっていた。アーウィン・アレンは『宇宙家族ロビンソン』のロボットの声にデビッド・タッフィールドを採用した。「このロボットは知的で、丁寧な未来の執事のような声を出すんだ」と、アレンが注文、録音ブースでテストが始まった。でも全然感じが違った。「ちがう、ちがう・・・そんなじゃない。デビッド、これじゃ使えない」とアレン。タッフィールドは「自分の考えで発声させてほしい。あるプランがあるんです」と頼み、張りのある太い声でロボットのセリフを発声した。「DANGER! DANGER(危険、危険!)」「WARNING! WARNING(警告、警告!)」「これに少しエコーをかけて下さい」とタッフィールド。アレンはこう言ってしまった。「なんで最初からそう言わなかったんだ、これがロボットの声だ」と。 

 日本語版ではベテランの塩見竜介がフライディの声を担当、ユーモラスな味さえ感じさせる名演であった。


第46回 番組一の人気者ロボット・フライディ


 アメリカだろうと、イギリス・日本でも『宇宙家族ロビンソン』の人気ナンバーワンのキャラクターは環境調査ロボット・フライディだった。フライディと名前がついているのは日本版だけで英語では「ロボット」か機体ナンバーで呼ばれていた。

 日本では放送していたTBSが視聴者にロボットの名前の公募を行っていて、『ロビンソン・クルーソーの冒険』のイメージで執事みたいだからと「フライディ」が多数応募されたのだ。本当の原作イメージではスイスのフローネ一家のイメージなのだが、アニメ化されるまでフローネ一家の物語は日本では知られていなかった。

 フライディを見たとき、人間の顔を持っていない工業デザインを思わせるロボット・フェイスにびっくり仰天してしまった。日本では『鉄腕アトム』や『鉄人28号』『8マン』と人間タイプのフェイスが当たり前だった。ボブ木下美術監督のデザインで、頭上の透明なドーナツ状のパーツ、フェイス部分の透明プラスチックのリング状のパーツが20世紀FOX撮影所の美術スタッフでは作れなかった。

 ボブ木下は戦後、合成樹脂やプラスチックの家具メーカーで働いていた旧知の外部の会社に発注、金属パーツの胴体、マジックハンド状の腕、一体整形でも走れるキャラピラ走行の足と宇宙開発用ロボットの新イメージを生んだ。『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザーにも影響を与えていて、マシン・ボイスで話すのもナチュラルだった。

第45回 ファミリー向けを目指したアーウィン・アレン

 『原子力潜水艦シービュー号』をABC-TVで成功させたアーウィン・アレンは、今度はCBS-TVで『宇宙家族ロビンソン』の放送をスタートした。無人島に漂流したロビンソン一家の生活を描く『ふしぎな島のフローネ』をヒントにしたその宇宙版で、子供向けの番組と言われているが、プロデューサーの狙いはファミリー向けのSF冒険物語の開拓にあった。アレンは少年時代に読んだ『ロビンソン・クルーソーの冒険』や『宝島』の楽しさが忘れられなかったからだ。

 アレンはカラー作品を望んだが、CBS-TVがカラー作品をOKしなかった。カラー化されることを予想し、金のかかる特撮シーンのみをカラー撮影してその宇宙船ジュピター2号の飛行シーンは第二~第三シーズンで使われることになる。L.B.アボット特撮監督と宇宙戦車や飛行ミニチュアの操演がうまいハワード・ライデッカー特撮監督の相性がよく、目を見張る特撮シーンが少年ファンや大人たちを驚かせた。

 パイロット版では存在しなかった、某国スパイの悪役ドクター・ザッカリー・スミス大佐(ジョナサン・ハリス)がレギュラーに加わったことで一家のウィル少年(ビル・ムーミー)とロボット・フライディの3人のユーモラスな会話と事件のきっかけとなるシチュエーションを生み出し日本のSF作家小松左京氏などは「ドクター・スミスを見るだけで面白い!」と従来のSFTVにない味わいを生み出し続けた。今でも“子供だまし”と語られる『宇宙家族ロビンソン』の魅力はまさに1960年代の楽しさにあったのだ。

第44回 作品のレベルが高い『アイスパイ』

 スパイ・ブームが起こったアメリカのTV界の中で異色のシリアスさとユーモア満点の2人の主人公コンビで人気を呼んだのが『アイスパイ』だった。世界的なプロ・テニスプレイヤーと黒人のマネージャーが世界で転戦していくが、実は2人はアメリカのCIAのスパイで、アメリカの危機を防ぐため、共産圏スパイや陰謀、テロと密かに戦い続けていたのだ。

 ロバート・カルプがプロ・テニスプレイヤーを演じ、黒人コメディアンのビル・コスビーが知性派の敏腕マネージャーを演じ、コスビーは見事この『アイスパイ』でエミー賞助演男優賞を受賞する。ロバート・カルプは演出指向で監督デビューをこの作品で果たした。この作品はスタジオ中心の撮影だったアメリカのTVシリーズの中にあって、大胆な海外ロケからスタートした作品で、スタッフ・キャストが船に乗って香港、フィリピン、台湾、韓国、日本、ハワイ、アメリカ本国と寄港地で撮影していく作品作りで、日本編もポール・ウェンドコス監督がちゃんとディレクションして作品をまとめて日本のファンを感激させた。

 スパイの非情さや裏切りを見せるエピソードも多く、ロバート・カルプやビル・コスビーも名優で外国TV研究家の岩井田雅行氏は「アメリカのスパイものの中でピカ1の作品だ」と評価している。音楽も毎回新しく作曲して収録。バンク曲がないと知って演出したロバート・カルプは驚いて感激したと語っていた。

第43回 日本でのナポレオン・ソロ人気

 『0011ナポレオン・ソロ』は日本テレビ系で放送され、配給会社はトランス・グローバルで、『バットマン』や『宇宙家族ロビンソン』と同社が絶好調の頃の日本語版だった。翻訳は篠原慎、『バークにまかせろ』に続く担当で『バークにまかせろ』で自由に日本語版でセリフをアレンジするコツをつかんだ篠原慎と日本テレビの吉川文武プロデューサーのコンビは『0011ナポレオン・ソロ』の日本語版でそのやり方を完成させた。ナポレオン・ソロ役の矢島正明、イリヤ・クリヤキン役の野沢那智、ウェイバリー役の島宇志男は一代の当たり役で、そのスマートでこなれた日本語版は外国TVシリーズの世界を一段と日本人にとって身近な世界に変えていった。

 漫画化を、後に『ゴルゴ13』を描く さいとうたかを が手がけ、U.N.C.L.E.という秘密組織のネーミング、0011というコードナンバー、アンクル・タイプの銃やアンクル・カーに装備された銃や特殊武器のギミック性、チームの編成で日本のTVシリーズ(東映の『キイハンター』『スパイキャッチャーJ3』とか)、漫画(『秘密探偵JA』『スカイヤーズ5』とか)、映画、小説に多くの影響を生み出した。

 アメリカでは前後編で放送したTVシリーズ2本を少しの編集と撮り足しで編集した『0011ナポレオン・ソロ』の映画も次々にヨーロッパ、日本で公開され、MGCや中田商店のモデルガンでもアンクル・タイプが発売。『007』の映画と『ナポレオン・ソロ』の毎週のTVシリーズがスパイ・ブームの両輪となっていったのである。

第42回 ナポレオン・ソロの公式ファンクラブ

 『0011ナポレオン・ソロ』の人気はTV作品として新しいパターンで10代後半から20代前半のハイティーンの女性ファンがロバート・ヴォーンとデビッド・マッカラム(特にマッカラムの人気はすごかった)に熱狂したことで、毎回500通以上のファンレターが殺到。MGM-TVは(おそらくミッキー・マウス・クラブを参考にして)公式ファンクラブを設立して、ブロマイドを送ったりファン・イベントを各地で開いたりして、人気をさらに高めていった。

 後の日本で起こるアニメ・ブームみたいなモードで、ベトナム戦争やケネディ大統領やキング牧師の暗殺など、大人たちのやっていることに若者層が絶望してフィクションの中の人物、それを演じる俳優のスマートさやダンディさ、やさしさに救いを求めておきたムーブメントの気配もあった。TV番組で、20世紀FOX-TVの『バットマン』、TV用に組まれた音楽グループがヒット曲を連発した『モンキーズ』、ミスター・スポックが女性ファンに大人気で、「私はスポックではない」という本までレオナード・ニモイが書いた『スタートレック/宇宙大作戦』と、TV界からサブカルチャーの新しいブームの流れが、1965~69年巻き起こったのだ。

 これは1970年代の時代の流れが変わる予兆だった。ロバート・ヴォーン、デビッド・マッカラムは正直自分でも戸惑うほどの人気スターになり、『0011ナポレオン・ソロ』人気で来日、ファンにかこまれるほどであった。TVミステリー、最大のヒット作だった。

第41回 『0011ナポレオン・ソロ』の誕生

 イギリスのミステリー作家イアン・フレミングが書いたイギリス情報部のスパイ、ジェームズ・ボンドが活躍する『007』シリーズはベストセラーになって映画化されて大ヒット、世界にスパイ・ブームを作り出した。

 アメリカではNBCがプロデューサーのノーマン・フェルトンに「イアン・フレミングにTV用のスパイ物を考えてもらったらどうだ?」と依頼、フェルトンはフレミングにコンタクトするのだが、フレミングは忙しく、主人公のナポレオン・ソロという名前と相棒の女性エイプリル・ダンサーの名前を考えてくれただけであった。

 フェルトンは企画の名手サム・ロルフに作品設定を考えてくれと頼み込んだ。サム・ロルフは、アメリカ社会がベトナム戦争の悪化や冷戦問題のムードである重さを感じていると考えて、今は明るくスマートな主人公のほうがいいだろうと、国際的な犯罪や陰謀、テロと秘密裏に戦う国際秘密情報機関U.N.C.L.E.と国際犯罪グループS.L.U.S.H.(スラッシュ)との攻防というフォーマットとアメリカ人のダンディでスマートな主人公ナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)と相棒でロシア人でブロンドの青年イリア・クリアキン(デビッド・マッカラム)、老練なイギリス人上司のウェイバー課長(レオ・G・キャロル)という40ページの設定を作り上げ、“SOLO”というパイロット・フィルムの脚本を書きあげた。

 MGM-TVが製作、NBCが1964年から放送開始すると大ヒット。アメリカ、イギリス、ヨーロッパ、日本とこの番組は大人気の評判を呼ぶことになった。

2017/08/29

第40回 『サンダーバード』の4人の脚本家

 『サンダーバード』は、当初30分番組の予定で脚本が作られた。パイロット・フィルムの第一話はジェリー&シルビア・アンダーソン夫妻が書き、アラン・パティローが監督した。『宇宙船XL-5』『海底大戦争/スティグレイ』の脚本も書いたアラン・フェネルとデニス・スプーナーがジェリーとパティローと相談し、まず執筆した。

 ところが、パイロット・フィルムを見た製作元のITCのルー・グレイド社長が「まるで映画だ!30分じゃもったいない。60分番組にしよう!」とその場で決定、12本分の完成していた脚本を60分に直すことになってしまう。

 ITCの『秘密諜報員ジョン・ドレイク』のコンピューター用語の修正で脚本を手伝って評価されていた若手の脚本家トニー・バーウィックがその60分への加筆を手伝うことになり、バーウィックのアイデア、腕前をジェリー・アンダーソンは高く評価して、APフィルムの脚本スタッフにバーウィックは参加することに。

 アラン・フェネルは元々コミック編集者のライターで、『スーパーカー』の子供向け本でジェリーと知り合い、「理屈っぽいですね。もっとアクションさせた方がいいですよ」とジェリーに語り、「作品に脚本で参加しないか?」と『宇宙船XL-5』から参加。

 デニス・スプーナーはBBCの『ドクター・フー』、大ヒット作のイギリスTV『おしゃれ秘探偵』の脚本でセリフのユーモアとアイデアのうまさで知られていて、パティローの脚本もそうだが、とても人形劇用脚本とは思えないストーリー連発であった。『サンダーバード』はストーリーの面白さを生んだ脚本家をまずほめたい作品なのだ。

第39回 『サンダーバード』のシリーズ構成


 『スーパーカー』から『宇宙船XL-5』『海底大戦争/スティングレイ』と30分物のスーパーマリオネーションのストーリー面のシリーズ構成は、プロデューサーのジェリー・アンダーソンが自ら手がけていた。だが、1時間のTVシリーズでレギュラーの人物だけで10人以上のキャラクターがいる『サンダーバード』は専任のシリーズ構成を作った方がいいのではないかと、ジェリーは考える。ITC製作のミステリーTV『セイント』や『ジョン・ドレイク』にはシリーズ構成の脚本家がいたからだ。

 ジェリーは『スーパーカー』から中心監督として参加しているアラン・パティロー監督にそれを依頼した。パティロー監督は「メカの魅力が強すぎる。毎週TVシリーズとして見たくなるにはレギュラーの人物にもっと魅力を持たせなければ、見たくならない・・・」と思っていた。

 そこでパティローがジェリーに相談したのは「たまにしか出てこないことになっているペネロープとパーカーのスーパー・ロールスロイスをもっと活躍させよう。末っ子のアラン・トレーシーをミンミンと恋仲にして、もっと出番を増やそう。そうするとユーモラスな味がもっと出るんじゃないか」というアイデアだった。スコットランド人であるパティローはイギリス貴族のペネロープと召使いのパーカーであるイメージを出せると考えたのである。パティローはペネロープがモノレールの線路に縛られたり、歌手になったり飛行機の中でファッションショーをやったり、人形劇と思えない脚本を量産、作品のドラマ部分を充実させていった。

第38回 サンダーバード1~5号のメカ・デザイン

 『サンダーバード』の主役メカであるサンダーバード1~5号の役割、性能を考えて決めたのはプロデューサーのジェリー・アンダーソンだった。だが、具体的な形でデザインをまとめたのはデレク・メディングス特撮監督だった。

 ジェリー・アンダーソンと技術面の副プロデューサーだったレッジ・ヒルと三人でコンセプトを聞いたデレク・メディングスは、家に帰ってその夜にも「ジェリーが言っていた性能だとこういう感じかな・・・」とラフ・デザインをスケッチしていく。

 世界中どんな場所でも60分で到達するサンダーバード1号はロケット状から主翼を広げていく可変翼(特撮で初めて作られた可変翼だった)、いろいろな救助メカを積んでいく大型輸送機の2号は丸いフォルムの機体でコンテナ式のカーゴを利用したらどうだろう・・・でも主翼は小さめに(なぜかというと、特撮では主翼が大きくて横に長いとスピード感が映像で出ないのをレス・ボウイ特撮監督の助手時代、メディングスは痛感したからだという)と。翌日、ラフ・デザインをジェリーとレッジに見せて意見をもらい、完成デザインを作っていった。

 レッジ・ヒルは「特撮のミニチュアはリアルさが大事だけど、はっきりしたカラーリングの方が印象に残る」といつも言っていて、サンダーバード1~5号は、シルバー&スカイブルー、グリーン、レッド、オレンジイエロー、スチール色+レッドと特徴のあるカラーリングも抜群だった。モデル製作はマスター・モデル社が担当し、直線と曲線を組み合わされた工業デザインを思わせるメディングスのデザイン・ラインを見事に立体化してモデルを完成させていた。


第37回 メカ特撮の王国『サンダーバード』

 『スーパーカー』(1961~62)をイギリス、アメリカでヒットさせたジェリー・アンダーソンは続いて『宇宙船XL5』(1962)をアメリカの三大ネットワークに売り、製作元のITCはスーパーマリオネーションの評価を上げた。続く第三作の『海底大戦争/スティングレイ』(1963)はイギリスTV界でもかなり早いカラー・フィルム作品で、イギリス、アメリカ、日本でも話題を呼んだ。

 ITCの子会社に正式になったジェリー・アンダーソンのAPフィルムは、新しいスタジオに移り、予算も増えて、人形の個性化(俳優をモデルにしてリアリティを上げた)デレク・メディングスの海洋特撮の充実と新生面を作り上げた。そして1964年の1時間の人形劇+特撮メカニックのSFドラマとなったのが『サンダーバード』だった。従来1台だった主役メカニックが5台登場するサンダーバード1~5号の新コンセプト、国際救助隊のトレーシー一家5人の個性的なキャラクター、イギリス人の貴族で美人スパイというペネロープが未来型のロールスロイス(6輪というカッコよさ、しかも色はピンク)で悪人をぶっとばす痛快さ、まさにSFの未来世界にファイティング・ビューティーを持ち込んだ作品だった。

 ジェリ-・アンダーソン夫人で副プロデューサー格のシルビア、人形造形の主任クリスティ・グランビルとその助手メアリー・ターナーと女性スタッフが中心にいる人形劇のセンスが人間ドラマ以上のドラマチックなSFアクションのベースを支えた。特に日本で『サンダーバード』は大ヒット、日本の特撮、アニメに大きな影響を与えることになるのだ。

2017/08/28

第36回 『スタートレック』にSF作家が集結

 『スタートレック』のセカンド・パイロット作品「光る目玉」の脚本を書いたサミュエル・A・ピープルは古いSFファンの作家で、ミステリーや西部劇小説、ホラー小説、ユーモア小説を書いていた。やたらとあらゆる小説を書くので「アスタウンディング・サイエンス・フォクション」誌の編集長ジョン・W・キャンベル(ロバート・A・ハインライン、ジョン・ヴォークト、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークなどを育てた名編集長)が、なぜうちには書かないのかと聞くと「SFは僕の本当の道楽なので仕事にしないのです。誰があなたの雑誌に書きますか」と言い、キャンベルを唖然とさせた才人であった。

 ピープルはロッデンベリーの企画を読んで『スタートレック』が『レンズマン』のような宇宙ポリスのイメージなのに気づいていた。「ジーン、ハインラインの少年向けの『スペース・アカデミー』を読んでないだろう。良い参考になると思うぜ」。 ピープルはSF作家に友人が多く、ジーン・ロッデンベリーに紹介した。リチャード・マシスン、ジェリー・ソール、シオドア・スタ-ジョン、ジョージ・クレイトン・ジョンソン、ロバート・ブロック、ハーラン・エリソン、ノーマン・スピンラッドたちが原作提供ではなく自ら脚本を書いて参加してくれ、何本もの秀作が生まれていった。

 ジーンを支えるプロデューサーのジーン・L・クーンは脚本の名手で、ジーンを長く手伝ってきた女性脚本家のD・C・フォンタナもなかなか面白い脚本を生み始めた。アメリカのSFファンは『スタートレック』の脚本クレジットで一流のSF作家の名前を見て「こんな作品が出来るなんて!」と感激していたのだ。

第35回 『スタートレック』を支えた名特撮マン


 『スタートレック』を初めて見たファンは、皆ワープ航法の流れるようなUSSエンタープライズ号のスピード感満点の飛行シーンと惑星の衛星軌道を廻るゆったりしたUSSエンタープライズ号のシャープな特撮映像に魅了された。

 アームバーでブルーバック前に固定された約3.6 mのエンタープライズのミニチュア(ハワード・アンダーソン・カンパニー製作の大型ミニチュアだ)を移動車のカメラで撮影していたのはフリーになっていたリンウッド・G・ダンカメラマンだった。彼はRKO映画で『キングコング』『市民ケーン』『ポンペイ最後の日』の合成シーンを手がけた合成主任で、アメリカの移動マスクでドラマ・パートと特撮パートを合成していく合成マシン、オプチカル・プリンターを作り上げた父親の一人であった。映画『おかしなおかしなおかしな世界』の合成シーンも担当していた。

 惑星の地上の建物や情景のマットアートや転送シーン、宇宙の合成は映画『タイムマシン』後に『インベーダー』の合成も手がけるハワード・A・アンダーソンがまとめあげた。転送シーンはロッデンベリーの「ピーターパンやティンカー・ベルみたいな光のきらめきが欲しい」という注文をアンダーソンは見事にヴィジュアル化、小型宇宙船で惑星表面に降りていた宇宙物のイメージを破っていて『スタートレック』の作品イメージを代表する特撮イメージを生んでいた。

第34回 ウィリアム・シャトナー=カーク?

 USSエンタープライズ号の船長であるジェームズ・T・カークはウィリアム・シャトナーが演じたが、クリストファー・パイク船長(ジェフリー・ハンター)が初代の船長で、2代目の船長だった。

 1本目のパイロット・フィルムは船内服も違うし、キャプテンズ・シートやコンソール、コンピューターの情報のアウトプットも紙テープだったり、まだ中途半端だった。ロッデンベリーを支える副プロデューサーのボブ・ジャストマンやマット・ジェフリーズ美術監督達スタッフの協議で、カーク船長バージョンになってシリーズのフォーマットが完成するのだ。

 ウィリアム・シャトナーはAIP映画で暴走族や怒れる若者像の演技で注目された映画俳優で、SF作家チャールズ・ボーモントが脚本を書いた映画『侵入者』で、あるアメリカ南部の町を訪れたセールスマンが黒人差別をあおって町の住人のほとんどがヒステリー状態になって、自分のセールスを成功させようとする心理ホラーの異色映画で熱演して注目されたり、『ミステリー・ゾーン』で2本のSF作家リチャード・マシスンの脚本エピソードでTVファンに高い評価を得ていた。

 シャトナーはカークの役柄について「カークはまるで海洋小説のホーンブロワー船長の成長する物語のようで、面白いと思った」と、初めてのTVシリーズの主役にやる気満々だった。カークとミスター・スポック、船医のドクター・マッコイとの対比もよくて演技合戦の面も楽しめた。だが、まさか50年を越える人気を得ようとは、さすがのシャトナーも気づかなかった。

第33回 ミスター・スポックのキャスティング

 『スタートレック』のキャスティングでは、ミスター・スポック役のレナード・ニモイがその論理的で知的なセリフでバルカン人と地球人のハーフという神秘性もあって多くの女性ファンが生まれた。

 だが、ロッデンベリーは当初、別の俳優を考えていた。『スパイ大作戦』で有名になる変装の達人パリス役のマーティン・ランドーだった。舞台中心の俳優だが『ミステリー・ゾーン』や『アウターリミッツ』『コンバット』のやたら印象に残るゲスト俳優で、ロッデンベリーは “マーティン・ランドーなら” と考えていたのだ。ところが交渉してみると「TVシリーズのレギュラーには興味がないんだ。舞台の仕事を優先しているから。ゲスト出演ならいくらでも受けますよ」という返事でロッデンベリーは諦めざるを得なかった。

 ではなぜ『スパイ大作戦』のレギュラー(第一~三シーズン)になったのか? ブルース・ゲラーの出演依頼にも同じ返事だったが、ゲラーはこう言ったのだ。「ああ、大丈夫。このシリーズは毎回違うスペシャリストを集めるので、7話に一回くらいの出演なんだよ。あと、奥さんのバーバラ・ベインも美人スパイ役で出演してほしい」。パイロットフィルムの第一話の脚本(エミー賞脚本部門賞を受賞する)も演じがいがあって、ゲラーの交渉のうまさだった。同じデジル・プロの別のステージで『スパイ大作戦』と『スタートレック/宇宙大作戦』は製作されていた。

 不思議な縁でランドーの降板後、レナード・ニモイが『スパイ大作戦』にキャスティングされるのもニモイの演技が評価されたからだ。

第32回 デジルプロから続く新企画

 『スパイ大作戦』をデジル・プロで制作して、第一話の脚本でブルース・ゲラーはエミー賞脚本部門を受賞する。

 『バークにまかせろ』で面白い脚本を書いていたバリー・レヴィンソンとウィリアム・リンク(後に『刑事コロンボ』を企画・製作する)が企画したタフな私立探偵のマニックスを主人公にした『鬼探偵マニックス』もデジル・プロでスタートさせ、7年間ものロングヒットドラマに育て上げた。主演はマイク・コナーズだがこれもルシル・ボールの「私、マイク・コナーズが大スキ。女にとって彼はとても魅かれるところがあってこの作品をやったほうがいい」とそのキャスト表に賛成したことによる。

 警官上がりの脚本家で、プロデューサーでもあったジーン・ロッデンベリーもCBSTVにある番組の企画を持ち込むが、CBSはアーウィン・アレンの『宇宙家族ロビンソン』の方を先に買っていて、その企画を売り込むことが出来なかった。ロッデンベリーはデジル・プロに企画を持ち込み、プロデューサーのウィリアム・セルフが窓口になって注文し、設定・キャストを修復してパイロット・フィルムが2本作られ、やっとGOサインが出る『スタートレック』がその番組の名称であった。

 ルシル・ボールがある日セルフプロデューサーに「そういえば、エンタープライズ号の航海物はどの辺で撮影するの?」と聞いた。「え、社長、あれは宇宙物のSFですが・・・」「えっ、宇宙物なの? 任せるわね、キャストが大事よ」セルフには自信があった。ウィリアム・シャトナーとレオナード・ニモイにある手ごたえがあったからだ。

第31回 独立プロが新ジャンルを作り出す!

 『アイラブルーシー』や『ルーシーショー』で女優ルシル・ボール主演のホーム・コメディはヒットを続け、1930年代の禁酒法の時代を背景にエリオット・ネスとギャングのカポネの攻防を描いたポリス物の異色作『アンタッチャブル』(プロデューサーのバート・グチネットとクイン・マーチンの出世作となった)の大ヒット、そして毎回の読みきりで秀作を続出させた『デジル劇場』の充実と独立TVプロダクションのデジル・プロはTV界に話題を提供し続けた。

 大手の映画会社系のプロダクションでは通らない番組企画もデジル・プロだと評価されることが時々あった。なぜなら映画界で長い間活躍してきた社長ルシル・ボールが作品の魅力を見抜くビジネス・センスを持っていたからだ。

 脚本の名手だったプロデューサーのブルース・ゲラーが番組企画と第一話の脚本を書いて、TV局のCBSに売り込んだがCBSにはその面白さが判らなかった。企画を諦められないブルース・ゲラーはデジル・プロに企画と脚本を持ち込んだ。「どうでしょう?」と。その脚本を読んだルシル・ボールは「ブルース・ゲラーの脚本は素晴らしい!音楽はラロ・シフリンですって? 絶対よくなるわ。私のポケット・マネーの150万ドルでパイロットを作りましょう。TV局はどこでも売れるわよ」とGOサインを出す。それが『スパイ大作戦』だった。試写を見たCBSはあわてて「是非CBSに売ってほしい」と1年分の予算を用意して契約した。独立プロの気迫が新ジャンルを生み出すのだ。

第30回 エミー賞に特殊効果撮影賞を誕生させた作品

 『原子力潜水艦シービュー号』はエミー賞の特殊効果撮影賞を見事に受賞した。エミー賞は『シービュー号』に与えるまで特殊効果の部門はなく、そのくらいL.B.アボット特撮監督の特撮は映画級だった。

 20世紀FOX撮影所には映画の大作『クレオパトラ』で使った500坪の広さを持つ特撮プール(名作『雨ぞ降る』のフレッド・サーセン特撮監督を記念して、サーセン海とスタッフには呼ばれていた)があり、映画用に作られた5mサイズのシービュー号が進み、水中プールではカメラマンがアクアラングをつけて水中で6フィートのシービュー号や敵潜水艦、巨大怪物を撮影した。

 アメリカの古いSFファンと話すと「シービュー号の特撮や合成はとてもTVとは思えなくて興奮した!」と話し、私たちが『ウルトラQ』を見た時「これってTVのスケールじゃない。怪獣と特撮もスゴイ。さすがは円谷英二の会社だ!」と思ったのと同じだった。

 『原子力潜水艦シービュー号』は第二シーズンからカラーとなり、特撮スタッフに1930~40年代活躍していた連続活劇映画の特撮マン、ハワード・ライデッカーが加わり、空飛ぶ小型潜水艇フライング・サブを撮影、あらゆる特撮ファンを仰天させるメカ特撮を続出させるのだった。

第29回 アレンの念願だったクレイン艦長

 映画『地球の危機』にとりかかった時、アーウィン・アレン監督はクレイン艦長をデヴィッド・ヘディソンにやらせるつもりだった。

 ヘディソンは、20世紀FOXの映画でフランスの作家ジョセフ・ランジュラン原作の『蝿男の恐怖』で、物質電送の実験中に蝿が入ってきてしまい、蝿と人間の細胞が合体してしまう主人公を演じて、異色のホラーSFをその演技力で支え続けた。前年の『失われた世界』では主役である新聞記者マローンを演じ、アクション、表情とアレン監督はお気に入りであった。ところが20世紀FOXがヘディソンに廻す役柄はアクションや軍人ばかりで、もっと演じがいのある役柄を求めていたのだ。

 ヘディソンは『地球の危機』のシナリオを読んで「これはシービュー号が主役で艦長は脇役だ」とアレンに出演を断ってきた。「もうアメリカは嫌だ」と友人のロジャー・ムーアをイギリスに訪ねて、イギリスなどのヨーロッパで、ヘディソンは俳優を続けていた。

 カンヌの映画祭にいた時、アーウィン・アレンはデヴィッド・ヘディソンに『原子力潜水艦シービュー号』のクレイン役で出演してくれと電話をし続けた。断り続けたヘディソンだが、アレンの「ネルソン提督役はミスター・リチャード・ベースハートにやってもらう」という言葉に「え、ベースハートとTVで共演できるのか?」と一変。クレイン艦長を伸び伸び演じるヘディソン。そこには名優と共演する役者の満足感があった。

第28回 ノイローゼになったネルソン提督

 『原子力潜水艦シービュー号』のネルソン提督を演じたリチャード・ベースハートは役者から一目置かれるシェークスピア劇出身の映画俳優でイタリアのフェデリコ・フェリーニ監督の『道』、そしてメルヴィル原作でジョン・ヒューストン監督入魂の『白鯨』(グレゴリー・ペックがエイハブ船長を演じ、脚本をSF作家のレイ・ブラッドベリが執筆した)に出演、『ミステリー・ゾーン』や『ルート66』とTVドラマでも異色のゲスト俳優で別格の存在だった。

 『白鯨』の撮影がイギリス沖の実際の海での長期ロケだったため、ベースハートは『シービュー号』も世界の海に行くのかと思っていたら、艦内セットばかりの撮影が意外だったらしい。本格的な演技派の役者で、だんだん増えてくる(評判になったからだが)モンスターと戦うストーリーに「俺は何をやっているんだ?」とだんだん悩み始め、酒を飲んで体調を崩して撮影も休み始めた。

 ゲストで出演した旧友のジョン・アンダーゾンはベースハートの様子が変なのに気づき、事情を聞くと「毎週怪物ばかりでこれは役者の仕事じゃない!」と告白した。ジョン・アンダーソンは『アウターリミッツ』で宇宙人のヌイグルミに顔だけ出してキャラを演じたこともあって理解しながら「リチャード、僕の役は君が相手なんだぞ」と話すとベースハートは「悪かった。君の言う通りだ。悩む問題じゃない」と演技をやり通した。でも内心は悩み続けた5年間だったという。

第27回 シービュー号の2人の主人公

 普通の潜水艦の映画では頼りになる名艦長が主人公で『眼下の敵』や『深く静かに潜行せよ!』でもクルト・ユルゲンスやクラーク・ゲーブルが演じていた。

 アーウィン・アレンはジュール・ベルヌの海洋SF小説『海底2万マイル』が好きでノーチラス号を設計・建造したネモ艦長の魅力が忘れられなかった。それでシービュー号を設計・建造したネルソン提督(リチャード・ベースハート)と部下を率いてシービュー号を指揮するクレイン艦長(デビッド・ヘディソン)の2人主人公という創始となった。普通の海軍ではなく、ネルソン科学研究所所属の原子力科学調査船でアメリカ海軍や国連、NATOの依頼で世界の平和を乱す怪現象や陰謀と戦うファジーな設定がいろいろなタイプのストーリーを呼んだ。

 艦内の衣装も「実際の海軍制服より未来的でちょっと宇宙服みたいなイメージがほしい」とアレンが注文を出し、ポール・ザツネビッチ衣装監督がデザインをまとめあげた。エンジニアの赤いつなぎの制服、ブルーの操舵チームの制服、士官服はクリーム色のシャープなフォルム、これは判りやすく後に『スタートレック/宇宙大作戦』のUSSエンタープライズ科学班はブルー、エンジニアは赤色の上着と明らかに影響を与えていた。

 ミリタリー物でありながらSFタッチに寄せてあるのが名アイデアで、だから巨大半魚人や巨大鯨と戦っても違和感がなかったのだと思う。

第26回 『原潜シービュー号』の栄光

 1961年、プロデューサーのアーウィン・アレンが20世紀FOXで映画『地球の危機』を製作、自ら監督した。

 前年コナン・ドイルの『ロストワールド』の映画化権を手に入れていたアレンは正月映画用の企画を捜していた。20世紀FOXへの売り込みに成功し20世紀FOX特撮部のL.B.アボットに特撮を担当させ(生きたトカゲにデコレーション・パーツをつけた恐竜だった)、原作の知名度もあってその映画『失われた世界』はヒット作として成功した。

 今度は未来のスーパー潜水艦物だと、オリジナル・ストーリーを作り上げた。先端の水中窓から水中が見えるアメリカ海軍の海洋調査原子力潜水艦シービュー号が地球の危機を救うストーリーで、L.B.アボット特撮監督のカラーメカ特撮は素晴らしい仕上がりで、世界中でヒットした。

 アーウィン・アレンはふと新しいアイデアを思いつく。映画用に撮った恐竜やシービュー号の特撮シ-ンをバンク・フィルムにしてTVシリーズのフィルム作品を作ったら、特撮、そして映画用の美術セット(シービュー号の船内セット)や衣装のコストがかからないー

 『失われた世界』はNGになったがシービュー号のシーンを中心にしたSFアクション物のTVシリーズ『原子力潜水艦シービュー号』はABCで1時間枠のTV番組として1964年スタートする。『ローハイド』や『コンバット』のようなレギュラー・キャストがいる大型のSFTV番組がここから始まるのだ。

第25回 『アウターリミッツ』のスタッフたち

 『アウターリミッツ』には生みの親が3人いた。番組を企画したプロデューサーで監督のレスリー・スティーブンス(パイロット版で第一話として放送された「宇宙人現る」の監督・脚本も担当した)。作品のサスペンスと恐怖を盛り上げる音楽を担当していて最初からスティーブンと話し合っていた作曲家ドミニク・フロンティア(『頭上の敵機』『ラットパトロール』『インベーダー』のTVシリーズの作曲家でもある)。スティーブンスがフロンティアを連れて訪ねた、番組の制作プロデューサーをやってくれないかと映画『サイコ』の脚本を書いて注目されていた脚本・プロデューサーのジョセフ・ステファーノの3人だ。

 「宇宙時代の今、科学が持っている人類の夢と悪夢や危険を主題にしたい」とスティーブンスは語る。「いや、SFを今前面に出すのは早いと思う」とステファーノ。サーリングほどの名手でも『ミステリー・ゾーン』をSFというよりファンタジー、ホラーのタッチで作っているのを冷静に分析していたのだ。「モンスターを前面に出したらどうだろう。科学研究所をフランケンシュタインの古城に見立て、毎夜毎夜怪しい光が見える。実はモンスターを作っていたのだ。これなら誰でも判る」とステファーノ。不安顔のスティーブンスに「シリアスとサスペンス、ホラーは守り抜く。追いかけられる若いカップル普通の人々は必ず出すから」とステファーノ。それで3人のタッグが決まったのだ。科学の脅威を見せるスティーズンスの脚本、悪夢のような科学のホラー・タッチのステファーノの脚本が両極の魅力だった。


第24回 合成が圧巻の『アウターリミッツ』

 『ミステリー・ゾーン』が見られたのは中学1年生になってからで、私にとっては初のSF体験ともいうべきアメリカのSFTV番組は、小学校4年生で見た『アウターリミッツ』だった。

「あなたのテレビが故障しているわけではありません。我々が映像をコントロールしているのです・・・」

と重々しい若山弦蔵さんのナレーションで始まるオープニングに「何だ?」とまずびっくり。

 日本語版ディレクターは後にTV劇場映画の日本語版で『荒野の七人』『ローマの休日』他数々の演出をした東北新社の小林守夫氏。『インベーダー』の日本語版ディレクターでもある。「原語版の英語が重々しいナレーションで若山さんを起用してうまくいきました」と小林ディレクターは語る。「僕はSFだとはあまり意識しませんでした。気味の悪いストーリーが多くて、どれだけシリアスなムードでいけるかというのは考えましたね」と小林ディレクターは笑っていた。SFです、SFですと押してしまうと怪奇的な作品のムードが薄まってしまうからだ。

 とにかく怖い描写が多くて、4歳年上の兄とフトンの中で「ヒェー!」と覗き見ていた。宇宙生物(アメーバ状)が科学者の身体を乗っ取る描写でも手に触ると「ギャー!」と痛みに絶叫するなど、身体と心が切り離される痛みが出ていて、見ていて震え上がった。特殊メイクだけでなく、合成を多用して、特撮の新世紀を感じさせた1時間のドラマだった。

第23回 忘れられない『ミステリー・ゾーン』

 幾多の傑作がある『ミステリー・ゾーン』ラストの第五シーズン第26話「暗黒の死刑台」という話が忘れられない。

 現代のアメリカ、西部のある小さな町の留置場から物語はスタートする。中年の保安官、若くて調子のいい保安官助手・・・そして留置場の中で目をギラギラさせ、どこか怒っているような青年。保安官助手は「いよいよ明日の朝8時で処刑執行だ」とどこかうれしそう。「怖くはねえや」と青年。保安官は「やりなおせばこんなことにならなかったんだ! くそっ」とつぶやく。青年を良く知る牧師がやってくる。孤児でグレて悪い仲間ができて、盗みにケンカ、半殺しの目に合わせた町の住民は皆若者を迷惑がり、憎んで死刑に決めてしまった。「牧師さん、もういいよ。俺の人生なんてこんなものさ・・・」外の道路で「早く首吊りが見たい」とうそぶく住民。

 翌日、7時50分なのに廻りは真っ暗、夜が明けていない。でも時間だと首吊りの処刑場へ青年を連れて行く保安官。「早く死んじまえ!」「この悪人!」と叫ぶ町の人々。牧師がガマンできず「彼をこうさせたのはあなたたちだ。罪人はあなたたちなんだ!」その頃、保安官事務所のラジオニュースが聞こえる。「アメリカ西部のある町、東西ドイツの国境地帯、南北朝鮮の国境地帯が朝になっても闇に包まれる奇妙な現象が起きています・・・」
流れ始めるサーリングのナレーション。
「人間の憎しみが光すら通さない闇の空間を作り出しているのです。アメリカの平凡な西部の小さな町。人間が生み出す恐ろしい闇の世界、そこはミステリー・ゾーンだったのです」

 闇に包まれている小さな町の航空写真、どんどんカメラが空に上がっていくと、アメリカ西部の一部分だけがブラック・スポットになっている明るいアメリカ全土の航空写真になっていく・・・。

 中学2年でこれを見たショック。モンスターや殺人シーンよりも怖かった。これで私はSFTVにつかまってしまった。ロッド・サーリングの脚本作品であった。

第22回 美しいセリフの『ミステリー・ゾーン』

 1971~3年頃、アメリカのTV界に大きな変革が始まって、ブラック・コメディの大ヒット作『All in the Family』(日本未放映)『ポリス・ストーリー』『刑事コジャック』ベトナム戦争も戦地から中継したCBSのドキュメンタリー番組『60 Minutes』で放送コードで3大ネットワークが放送前にチェックしていたスラングや汚い言葉があまりに増え、『All in the family』など半分のセリフが真赤(NG)になり、有名無実化して実際に戦場で街でスラム街でしゃべっている言葉が3大ネットワークで流れ始めた。ダン・ラザーなどのアンカーマンが兵士にインタビューした時、いらだつ兵士がきれいな言葉で話すわけがないのだ。

 1959~64年に放送された『ミステリー・ゾーン』はサーリングやリチャード・マシスン、チャールズ・ボーモント、ジョージ・クレイトン・ジョンソンとブラッドベリ風の詩情あふれるセリフやハードタッチのナレーションでセリフを磨き上げていた。1950~60年代はアメリカのSF短編黄金時代でもあった。ベトナム戦争が悪化していく頃でキューバ危機と冷戦のど真ん中でもあった。文明批評と人間社会を見つめるサーリングのセリフは特に光っていた。英語でも『ミステリー・ゾーン』を聞いてほしい。まさにセリフで読むSFなのだ。

第21回 ロッド・サーリングと金城哲夫

 『ウルトラQ』を見ていた1966年(昭和41年)1月~7月、その怪獣や合成の特撮シーンに魅了されながらそれ以上に魅かれていたのが、流麗なナレーション・毎回毎回違うオープニングに仰天、なんてかっこいいんだと思ってしまった。高校生くらいになって録音テープを録りだして、脚本・金城哲夫というクレジットに気がついた。ナメゴンもガラモンもケムール人も「1/8計画」も同じ人の脚本だと気づいたのだ。どのエピソードのナレーションも抜群だった。「この人がオレを呼んでいる人だ」と直感した。後に取材で同僚の上原正三さんや熊井健さんに会った時「金城さんは、よく試写の前に “円谷プロのロッド・サーリングです。皆さん、ようこそミステリー・ゾーンの世界へ” ってサーリングのマネをしていたよ」と教えてくれたのだった。

 第一シーズンは日本テレビ系で『未知の世界』のタイトルで放送したが。第2~5シーズンはTBS系で『ミステリー・ゾーン』のタイトル(SFマガジン編集長の福島正実がつけたタイトルだった)で放送、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の飯島敏宏監督、円谷一監督の所属するTBS映画部の隣の机が『ミステリー・ゾーン』を制作する外国TV番組制作班だった。金城を含め、円谷一や飯島敏宏さんが『ミステリー・ゾーン』の社内試写も見たんじゃないか。特撮ファンにとって『ミステリー・ゾーン』は重要な作品なのだ。

第20回 TVのSF作家ロッド・サーリング(後編)

 ロッド・サーリングは人生の不安や社会の問題性を熱く見つめて訴える問題作を1950年代書き続け、エミー賞オリジナル・ドラマ部門を3年連続で受賞した。

 しかし、アメリカTV界は『アイラブ・ルーシー』や『パパは何でも知っている』みたいなホームコメディ、『ガンスモーク』や『コルト45』といったウエスタン『ドラグネット』や『ハイウェイ・パトロール』といったアクション・ミステリーのレギュラー番組の方が評判も視聴率も良く、問題作はTV局もスポンサーも敬遠するというか、熱意が明らかになくなっていった。ロッド・サーリングはその中でTVドラマの人間を描いていくドラマとSFやファンタジー・ホラーの驚くべき人間批評とストーリーの面白さを合体してみたらどうなるだろうかと考え『THE TWILIGHT ZONE』を企画した。

 ただ、才能のあるSFとドラマを理解してくれる脚本を集めるため、サーリングはSF作家のリチャード・マシスン、チャールズ・ボーモントに相談(SF作家のレイ・ブラッドベリが勧めてくれたのだ)、やがてジョージ・クレイトン・ジョンソン、ジェリー・ソール、チャド・オリバーとカリフォルニア在住の若手SF作家が参加することになる。世界SF大会はこの作品に3年連続でヒューゴー賞最優秀映像賞を与えることになる。『ミステリーゾーン』はSFファンが待ちに待ったSFドラマ作品なのだった。

第19回 TVのSF作家ロッド・サーリング(前編)

 アメリカのTV脚本家でプロデューサーのロッド・サーリングは1924年12月、ニューヨーク州の小さな田舎町シラキューズで生まれた。父親は肉卸業で裕福な家庭に育った。ロッドは少年時代、兄が定期購読していたアメリカ初のSF雑誌「アメージング・ストーリーズ」や冒険SF誌「アスタウディング・サイエンス・フィクション」やホラー小説誌「ウィアード・テールズ」に夢中になり、アメリカ最初のSFファンの世代であった。

 また1930年~40年代はアメリカはラジオドラマの黄金時代であり、20代の異才オーソン・ウェルズが率いるマーキュリー劇団が放送する『宇宙戦争』『吸血鬼ドラキュラ』『シャーロック・ホームズ』『二都物語』、ラジオドラマ用に書き下しされたサスペンス&ホラーの『サスペンス』、ノーマン・コーウェンのファンタジードラマの数々に魅かれ “自分もラジオドラマを書いてみたい” と夢想する高校生になっていた。

高校卒業後、すぐに陸軍のパラシュート部隊に応召したロッドは第二次大戦時太平洋で日本軍と戦った。飛行機が基地に着陸するとき、機首を上げて地上が見えなくなる危険な時間をパイロットが「Twilight Zone」と呼んでいて、ロッドの記憶に残ることになる。
やがてTVの脚本家となりエミー賞を連続受賞して1959年CBSで放送スタートすることになるのが『The Twilight Zone』(『ミステリー・ゾーン』)だった。

2017/08/27

第18回 子供を震え上がらせる作品

 フランケンシュタインの怪物やドラキュラ、狼男というモンスター系のホラー映画の研究者で特殊メイクや世界の特撮の技術ヒストリーに詳しく、コンピューターの電脳世界大好きな聖咲奇さんと色々と話をしていて “子供の時、あるTVシリーズのエピソードを見ていて、ある話であまりにも怖くて翌週から3回くらいそのシリーズを見れんかった” と聖さんが話して “まさか!?” と思って詳しく聞いたら同じエピソードだった。

 アメリカのTVシリーズ『世にも不思議な物語』(1959-61)の「しみ」という回、同じ話を見てTVの前で震え上がってしまったのだ。

 500本以上生放送で活躍していた俳優のジョン・ニューランドは監督の仕事に興味を感じてディレクターをやりだして企画し、全話を一人で監督したのが『世にも不思議な物語』で1959年ABCでスタートした。“これは全て実話を元にしています”というのがキャッチコピーで(そんなことはないプロフェッショナルな作劇が多かった)幽霊物や未来予知、呪いに怪現象、奇跡体験、テレパシー体験、臨死体験・・・そんなバカなと思いながら、いかにもありそうな科学で説明できない、不思議なストーリーに子供心にひょっとしたらこんなことがあるかも・・・と思わせてしまうテクニック。無類に怖かった作品で、今でもアメリカではTV番組に『奇跡体験アンビリーバボ-』みたいにその影響作が現役なのだから恐るべし不思議ストーリー!

第17回 “みなさん”と語るヒッチコック


 1作品であるTVドラマシリーズがその人の生涯のイメージを決定づけてしまうことがある。『ララミー牧場』のジェス役のロバート・フラー、『アンタッチャブル』のエリオット・ネス役のロバート・スタック、『刑事コロンボ』のコロンボ役のピーター・フォーク・・・俳優の例を出せばそれは実感できるだろう。

 アルフレッド・ヒッチコック監督は、ホラー映画『サイコ』『鳥』『レベッカ』と数々のサスペンスと恐怖の名作映画を作ったが、『ヒッチコック劇場』(1955-62)の冒頭とラストで語るユーモラスで知的なセリフ、表情であらゆる人がヒッチコックの印象を作り上げてしまった。

 ヒッチコックはラスベガスのショーで有名コピーライターを冒頭+ラストトークのために雇い、自分のセリフを磨き上げ十字架に縛られてりスポンサーを皮肉ったり「さすがはヒッチコックだ!」としゃれたトークとユーモアが大好きなアメリカ人(コメディ俳優ボブ・ホープも自分のトークのために何人ものライターを雇っていた。ホープのトークはラジオでもTVでも大人気だった)はニヤリとしながら楽しんでいた。日本語版では俳優の熊倉一雄がヒッチコックの声を演じて、日本テレビの録音時にキャスティングにもアドバイスしていた。後に1970~80年代のCMでヒッチコックが画面に出てきて「みなさん(笑)」と熊倉一雄が声を当てていたのだから『ヒッチコック劇場』は一代の名演技だったのだ。

第16回 不滅の傑作『ヒッチコック劇場』

 ホストが冒頭に出てきてひとくさりトークでストーリーの入り口へと視聴者を導いていくというのは『空想科学劇場』では科学ジャーナリストのトルーマン・ブラッドレーが語り、『ディズニーランド』では製作者のウォルト・ディズニーが語るとあったけれども、決定版となったのが『ヒッチコック劇場』(1955-62)のアルフレッド・ヒッチコックだろう。映画『レベッカ』や『白い恐怖』とホラー映画、サスペンス映画の巨匠として知られていたヒッチコックだが、この番組企画はレビュープロ(後のユニバーサルTV)がTVでホラーの毎回読み切りの番組を制作しませんかと提案したところから始まる。ヒッチコックはTVには関心なかったが、彼を支えていたプロデューサーのジェーン・ハリソン(ミステリー作家のエリック・アンブラー夫人だ)がすぐに反応した。「家庭の中でまだあまり知られていないミスター・ヒッチコックの面白さを知ってもらえる絶好のチャンスだ。あなたのファンが増えて興行的にも絶対プラスになるから」とヒッチコックを説得した。

 ヒッチコック自らも10本以上監督して(ほとんどDVDで発売されている。必見!)ロアルド・ダール、ロバート・ブロック、レイ・ブラッドベリ、ヘンリー・スレッサーと粒よりの原作、無名作家だがキラリと光るアイデアと脚本の出来がよくて、てだれの監督が30分の中でよくまとめあげた。後に60分の『ヒッチコック・アワー』も作るが、200話以上で完成度を守り続けた。TV史に残る名短編集でTVドラマの魅力とは何かがそこにあるのだ。

第15回 透明人間

 イギリスのSF作家H.G.ウェルズのSF小説『透明人間』を読んだのは中学生になってからだが、身体が見えない透明になっている透明人間というキャラックターは6~7歳で知っていた。日本テレビで放送していたイギリス製のTVフィルム作品『透明人間』(1958)を見ていたからだ。

 HGウェルズ原作とクレジットされていたけれど、後に大ヒットしたスパイ物の『秘密諜報員ジョン・ドレイク』(1964-66)を企画・製作したラルフ・スマートが製作したTV番組だ。ピーター・ブラディというイギリス政府の研究所で“光”の総合研究をやっていた科学者の主人公が実験のミスである放射線を浴びて身体が透明になって元に戻れなくなってしまう。一度は彼を閉じ込めて秘密をつかもうとする研究所だが、ブラディは脱走して理解あるイギリス政府の上司がブラディと契約して自由を与え某国で人質になった科学者を救ったり、独裁国へ透明のまま侵入して重大な秘密を盗んできたりとスパイ&レスキューストーリーで活躍する。

 透明人間がタバコを吸ったり、車を運転して警官がびっくりする特撮シーンも面白かった。ブラディの日本語版の声は若山弦蔵さんが担当、「口を合わせなくていいので透明人間のアフレコは楽だった。」と聞いたことがある。

第14回 スーパーカーのすごい魅力!

 日本テレビで放送された30分の人形劇と特撮シーンを合体させたTVシリーズがイギリス製作の『スーパーカー』(1961-62)だった。英語のままの主題曲だったけれど5~6歳でも「♪スーパーカー♪」という部分は判り、「スーパーカー、スーパーカー♪」と歌ったものだ。オープニングの空飛ぶ車の特撮シーン、雲海を飛んだり水中に飛び込んだり「スゴイ映像だな~」とびっくりしたものだ。後に『サンダーバード』を作り上げるプロデューサー、ジェリー・アンダーソンのスーパーマリオネーションの作品第一号で、バリー・グレイ作曲の音楽も良かったし、デレク・メディングス特技監督の特撮には夢中になったものだ。

 それまで『チロリン村とクルミの木』のNHKの連続人形劇は見ていたけれど(人形の子供達が歌うミュージカル・シーンは素晴らしかった)SFメカニックのスーパーカーが垂直上昇して、研究所の天井のドームが開き、上昇していったり、主翼が引き込み式で空へ上がるとシャキーンと広がったり、「第一エンジン点火!」「第二エンジン点火!」とパワーを上げて、メイン・エンジンの発火・噴射シーンには「メカニックはこうやってパワーを上げていくのか?」と本物の香りを感じてまさに特撮メカ・ワールドの入り口になったのが『スーパーカー』だった。

第13回 ワーナーブラザーズTVのミステリー番組

 アメリカ製のミステリーTVは、まず30分のTVシリーズになじみになったものだ。ダーレン・マクギャビンが主人公マイク・ハマーを演じた『私立探偵マイク・ハマー』、カメラマンが主人公と言う異色のストーリーだったチャールズ・ブロンソンの『カメラマン・コバック』、マイク・コナーズが主演の『タイトロープ』・・・30分は見やすいし、個性派の主人公ばかりだった。

 それが1時間のストーリーになって「ハーッ」と思って見ていたのがワーナーブラザーズTV製作の『サンセット77』(1958-64)『ハワイアン・アイ』(1959-63)『サーフサイド6』(1960-62)のスマートなタッチの私立探偵のミステリー物だった。私立探偵というと、僕らにとっては『怪人二十面相』の私立探偵明智小五郎(小学校の図書館に少年用のホームズと一緒にズラリと揃っていた)だが、もっとモダンな作風だった『サンセット77』がその代表作で、ロイ・ハギンズが自分で書いたミステリー小説をTV化。1人だった主人公を2人の探偵事務所にして、毎週1人1人で別の事件を担当して2班の監督、スタッフで廻して製作スケジュールをかせぐハギンズのアイデアが冴え、何人もの探偵をかかえた『ハワイアン・アイ』『サーフサイド6』と探偵物の幅が広がったのだ。ユーモア・タッチをこのジャンルに持ち込んだのもお手柄であった。

第12回 目を見張った『宇宙探検』

 NHKで字幕で放送していたのがアメリカ製のTVドラマ『宇宙探検』(1959)だった。独立プロのZIVプロダクションが製作していたモノクロフィルムの作品だった。

 宇宙ステーションや宇宙船、宇宙服に宇宙船の発進シーンや無重力の船内描写に「へー!!」と夢中になって見たものだ。宇宙船の特撮シーンも見せ場なのだが、マコーレー隊長や隊員が芝居をしている船内や宇宙服、トレーニング・センター、宇宙船の操縦席や乗り込むタラップと本編(ドラマ・パート)の美術セットが実に充実していて感心してしまった。

 『宇宙探検』の美術監督はSF映画の名作MGM映画『禁断の惑星』のロボット・ロビーのフィニッシュ・デザイン他研究室のメカニックをデザイン、モービアス博士のイメージ3D変換器のデザイン、エネルギー・メーターのデザイン等研究室のメカニックを製作したボブ木下で、1965年20世紀FOXのプロデューサーのアーウィン・アレンに招かれて『宇宙家族ロビンソン』(1965-68)の環境調査ロボット、フライデーと宇宙船ジュピター号の内部コンソールをデザインした人だ。

 1970年代に入ると、『刑事コジャック』海外TV 第一シーズン、『ハワイ5-0』の美術セットも手がけた。SFTVにとって重要な美術スタッフだった。

第11回 『ディズニーランド』とプロレス

 プロレスラーの力道山は子供達のヒーローだったから、男の子は皆、金曜の夜の8~9時は日本テレビ系のプロレス中継を見て熱中したものだ。提供は三菱電気だった。プロレス中継は2週に1回で翌週に放映されるのがアメリカのABCで放送していたTV番組『ディズニーランド』(1954-58)だった。  「科学の国」「冒険の国」「おとぎの国」の3種類の内容が毎回変わっていく、このやり方も斬新だった。「科学の国」で見た宇宙旅行の未来の映像、リアリスティックなアニメーションの宇宙船や宇宙ステーション、月世界や火星の地表にとてもアニメとは思えなかった。冒頭でウォルト・ディズニーが宇宙船のミニチュアを手に持って語りかける(日本語版の声は小山田宗徳さんだった)のを見て「あのオモチャほしいなあ」と思った。「冒険の国」は西部劇の『デビー・クロケット』や『狼王ロボ』、「おとぎの国」はミッキー・マウスやドナルド・ダックにモダンでスマートな作画の“未来の車”や「プカドン交響楽」と音楽も軽快なまるで実験アニメの新しさ・・・金曜夜って、子供にとって、まさにプレミアム・フライデーだったと今にして思うのデス。

第10回 スーパーマンの提供スポンサーは?

 アメリカのTV放送は国営放送じゃない民間放送で1950年代はCBS、NBC、ABC、デュモントの4大ネットワークの時代だった。ラジオ放送が先行していて『スーパーマンの冒険』『ローンレンジャー』『ディック・トレーシー』『ガン・スモーク』と人気番組が多く、TV放送開始時にそれがラジオからTV作品へとスライドしていったのだ。

 『スーパーマン』もそうで、原作にいなかった少年記者ジミー・オルセンも子供達の分身として物語に共感を呼ぶため、ラジオ番組で生まれたキャラクターだった。
 1930年代後半から50年代前半まではアメリカ映画界は1話12~15分、全話15話で毎週「To Be Continue」(つづく)と3~4本のヒーロー物、ウエスタン活劇、女性版のターザン物、SFヒーロー物を上映する連続活劇映画が盛んで『ローンレンジャー』も『バック・ロジャース』『タイガー・ウーマン』『ディック・トレーシー』『スーパーマン』と凶悪なギャングや陰謀団とヒーローがアクションし続けていた。

 TVの『スーパーマン』も第一シーズンは凶悪なギャングが多く、ロイス・レーンなどの女性や子供を殴る、縛ると乱暴な描写が多く番組のスポンサーだったケロッグが「見ている子供が怖がるじゃないか!」とクレームをつけ、変な発明をする科学者やトンマな泥棒などユーモラスな味が増えて幼年層までファン層が広がったという実情だった。

第9回 スーパーマンとQ太郎

 『スーパーマン』(1952-58)に地球にぶつかろうとする彗星を粉砕する特撮がすごいエピソードがあるという話をしたが、その回で記憶喪失になったスーパーマンが戻ったクラーク・ケントの部屋の様子にファンはびっくりしてしまった。
 洋服が吊るされているクローゼットの扉を開けると、何着ものSマークのついているスーパーマンの服がハンガーにぶら下がっていたのだ。ええ!?「スーパーマンの服って何着もあって着替えているのか?」「マントは確かクリプトン星から赤ん坊のスーパーマンを乗せたロケットの中で赤ちゃんをくるんでいた毛布みたいな布から作ったという設定があったけれど、青い服やパンツはクラーク・ケントのお手製なのか?」このショックは子供心にもよく覚えていて、ケントの部屋を訪ねてきたジミー・オルセンがクローゼットの中を見たらスーパーマンの正体がバレてしまうとハラハラしたものだ。後に藤子不二雄さんの漫画『おばけのQ太郎』でQ太郎の白い洋服(足元を見ると黒い犬みたいな足が見えている。Qちゃんの姿は洋服を被っている姿なのだ)が何着もあって、「あ、藤子不二雄さんもスーパーマンのあの話を見たに違いない!」と思わずうれしくなってしまったものだ。

第8回 スーパーマンのベスト1エピソード

 『スーパーマン』(1952-58)は日本の漫画のヒーロー物、TVヒーローに巨大な影響を与えたアメリカ製のTV番組だが、主人公のスーパー能力の理由が忍術でも格闘や力が強いからではなく、単にクリプトン星人の持っている基本的な能力だからー空も飛べるし、銃の弾丸も跳ね返す強靭な体、鉄棒も軽く曲げてしまう怪力、目からX線を出して壁や物を透かして見えるというアイデアが何よりも斬新だった。ロボットや未来人、宇宙生まれの人間、忍者の子孫だからと主人公のスーパー能力を思いつく幅が広がったのだ。

 『スーパーマン』のベスト1エピソードは地球に衝突するコースを進む彗星の危機を防ごうと、宇宙空間へと飛んでいったスーパーマンだがこの回は画面手前に移動マスクで合成される特撮編で、ビジュアルも抜群だった。見事に彗星は木っ端微塵に出来るのだが、彗星の放った放射能を全身に浴びてしまったスーパーマンの身体に異変が起きる。地上に降りたスーパーマンが記憶喪失になってフラフラで自宅に戻る。翌日クラーク・ケントのスーツ姿になっているのにはだけたワイシャツの下にはスーパーマンのSマークの服があった。同僚のジミー・オルセンが訪ねてきてこのままではスーパーマンの正体がバレてしまう。このダブル・サスペンスが子供心に「ウマイ!」と思った一編だった。

第7回 はじめて見たSFTV

 『スーパーマン』(1952-58)は別としてはじめて見たアメリカのSFTV番組は何かというと、NHKの『空想科学劇場』だろうか。字幕スーパーでやっていた番組で、製作プロダクションには同じくNHKで大ヒットしていた『ハイウェイ・パトロール』(1955-59)や『宇宙探検』(1959)(『マコーレー隊長』というタイトルで再放送していた)で知られていた独立プロのZIV(ジブ)プロダクション。

 うろおぼえなのだが、アメリカの台風を人工コントロールしようとし、進路を変える研究所の実験中にミスが起きて、台風のパワーが異常に上がってしまい、大都市に向かって台風が狂ったように進んでいく・・・果たして防ぐことが出来るのか。手に汗握って見ていた記憶がある。この番組、1960年代後半東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で日本語版に直して『SF劇場』のタイトルで放送したことがあって、見たのはそちらのほうだったかもしれない。2000年頃あるフィルム作品を探しに東北新社の品川倉庫をチェックしていた時、16ミリフィルムで全70本以上のプリントが揃って保管されているのを見つけて『SF劇場』の日本語版フィルムがこんな場所にあったのかとひっくり返った。今はZIVプロダクションの作品の版権窓口は確かMGM-UAのはずで、是非再放送かDVDで発売してもらいたいものだ。

第6回 ヘッケルとジャッケル

 『ウッドペッカー』と共に好きだったアメリカ製のアニメが『ヘッケルとジャッケル』だった。カラスの2羽(カラスだと子供心に思っていたのだが、カケスなんだと25歳の時、森卓也さんの文章で気がついた)が旅をしながら、その旅先で出会うあらゆる動物キャラをだましてちゃっかりもうけて生きて行く。ニヤリと笑う表情がなんとも子供心に面白かった。詐欺師アニメの傑作だった。藤子不二雄Aさんが「少年キング」に連載していた『フータくん』はこの詐欺師モードを廃除してアルバイト、アイデア・メーカーのモードにしたフータくんというキャラ作りの巧さだった。
  兄貴分のヘッケルの日本語版の声は後に『三匹の侍』の桜京十郎で有名になる長門勇、ジャッケルの日本語の声はこれまた有名になる「てんぷくトリオ」の三波伸介。「アニキー!」というジャッケルのヤサグレた声がまたヨイのです!もうけるつもりがあてが外れてシラケたラストにもヘッケルとジャッケルはへこみもしない。「明日は明日の風が吹く♪」てな調子でちょっとした『フーテンの寅』みたいなムードだった。
  ヘッケルとジャッケルは実にたくましいのだ。人生っていろいろあるんだろうなあ・・・そう子供心に実感させたのだからきっと名作だったんだろうなあ。

2017/08/26

第5回 どこか怖かったウッドペッカー

 アメリカのTVで見たアニメで、幼年時代に異様に魅き付けられたのが日本テレビ系でやっていた『ウッドペッカー』のキツツキのキャラクターだった。
 何と書けば判ってもらえるか、引きつったような声と仕草で「エヘヘッヘヘー、エヘエッヘヘー、エへへへへー!」(ちがうよ、コレじゃ!!)笑うその声のオカシサ。その笑っている目と顔のコワサ・・・“こいつ狂っている!!””と子供心に直感したのだから幼な心には初めての体験だった。出会う周りのキャラクター全て壊滅的なメーワクをこうむり、ズドーンとぶっとぶラストのドトーの展開にもビックリ。ディズニーとミッキーマウスなんておとなしいものだと思えるパワーがあった。

 作画も個性的で、最近の「カートゥーン・ネットワーク」でCGのきれいなアメリカのアニメを見ていると、あの『ウッドペッカー』の毒気は何だったのかと思う。常識を、ノーマルさを、弱気な奴をハナで笑う大人のアニメ・クリエイターのスゴミがあふれ出たものだと痛感するばかりだ。『バックス・バニー』は “ああ、ウッドペッカーのカラー版の仲間だ!” と子供心に(小学生なのに)思ったものだ。