2017/08/30

第51回 『逃亡者』二人の生みの親

 アメリカで、イギリスで、日本で、いや世界中で最も人々の話題になったアメリカ製のTVドラマシリーズといったらやはりこの作品だろう。『逃亡者』(1963-67)だ。

 デビッド・ジャンセン、バリー・モース主演のクライム・ドラマだが、その誕生には2人の男の存在があった。『シャイアン』(1955-62)の途中から参加してヒット・シリーズに育て、『マーベリック』『サンセット77』(1954-64)をプロデュースして、メイン脚本家でもあり、のヒット作を連発た才人ロイ・ハギンズ。ハギンズはワーナー・ブラザーズTVを離れ、ある企画を暖めていた。始めは20世紀FOXに話を持っていったが、1年経っても反応がなかった。実際に起こった殺人事件の真犯人は別にいてその犯人を捜し続ける苦闘のドラマだったがABC-TVがその内容に「やりたい」と言い出した。

 「製作はやってくれるんだな」とABCが言うと「いや、時間がたって今別の仕事で自分はやれないんだ」と言う。「じゃ、どうするんだ?」「この企画をやれるのはクイン・マーチンだけだ。奴に自分のプロダクションを作らせてやらせればいい」とハギンス。ABC-TVはデジル・プロのヒット作『アンタッチャブル』の放送局で、当然そのプロデューサーのクイン・マーチンは知っていた。この話はクイン・マーチンがOKして、クイン・マーチンプロを設立して、ABC-TV、クイン・マーチンプロ製作の『逃亡者』がいよいよスタートすることになるのだった。

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